MINAMATA

ユージン・スミスのドキュメンタリードラマ『MINAMATA』がやっと公開されるそうだ。主演のジョニー・デップのゴシップのせいで公開が遅れていたとのこと。それはさておき、スーザン・ソンタグが『写真論』のなかでユージン・スミスについて少し触れているので、紹介しておく。

住民の大部分が水銀中毒で身体障害をきたし、徐々に死に近づいているという日本の水俣の漁村で、ユージン・スミスが一九六〇年代の終わりに撮った写真は、それらが私たちの憤りをかきたてる苦悩を記録しているから、私たちを感動させもするし、またそれらがシュルレアリストの美の基準にかなう、苦悩の優れた写真であるから私たちを遠ざけもするのである。スミスが撮った、母親の膝の上で身をよじる瀕死の若者の写真は、アルトーが現代のドラマトゥルギーの真の主題として求める、ペストの犠牲者にあふれた世界の、一枚のピエタである。実際、一連の写真はそっくりアルトーの残酷演劇の映像になるようなものである。

世界の終わり

いつもは子どもたちがはしゃぎ、老人はベンチで池を眺めている夏の終わりの妙正寺公園の8月30日の午後。誰もいない公園に世界の終わりを感じた。アクション映画のような徹底的な破壊ではなく、世界は静かに終わるのだろう。子どもの頃にテレビでやっていた欧米の映画を覚えている。第3次世界大戦によって人類は滅亡し、たった三人だけが生き残る。若い二人の男と一人の女。その女を奪い合う戦いが始まる。それは第4次世界大戦だ。「第4次世界大戦」というタイトルだったと思うが、ネットで調べても見つからない。

監獄と檸檬

大正から昭和にかけて、多く思想・政治犯を収監したという中野(豊多摩)刑務所。政治犯といえば、大正時代の爆弾テロや1970年代の爆弾闘争を思い起こす。最近は日本で爆弾のニュースを見ることは無いし、今世紀に入り、あのMachintoshでさえ爆弾を捨て去った。1983年に中野刑務所は閉鎖されて、今は平和の森公園になっている。東京オリンピックの話が出たころに、運動公園にする計画が立ち上がり、二万本近くの樹木を伐採して、競技用トラックや体育館を作り始めた。先日、寄ってみるとすでに競技用トラックも体育館も完成していた。公園がスポーツによって乗っ取られたのだ。体育館には「キリンレモン スポーツセンター」の看板が。レモンといえば梶井基次郎の『檸檬』ここでも〔黄金色に輝く恐ろしい〕爆弾だ。唯一残されているレンガ造りの中野刑務所正門にカメラをむけたら、自転車に乗った女性が目の前に停まって動かない。スマホを見ているだけかもしれないが、テロリズムを予感した。

Khodaa Bloom

若いころに自転車とかで遠出するような、自分探しの旅をしたことはない。15年ほど乗っていたママチャリが変な音を出し始めた。そろそろ買い替えの時期だと思い、自転車を調べていて、クロスバイクとかにしたら、行動半径も広がると考えた。20キロ程度なら楽勝とのこと。荻窪から半径20キロを調べると、東は亀戸、西は立川まで行ける計算だ。早速、近所の自転車屋に行って、安くて良さそうなものを探すと、Khodaa Bloomという日本のメーカーが作っている入門車が三万円台であったので購入する。ママチャリさん、長い間ありがとう。24段ギアなんて乗ったことがない。とりあえず慣れるために10キロ程度走ってみようと、地図を見ていたら、荒川が大体13キロと案外近いことに気づいた。荒川なんて夢の島あたりの遠い河だとばかり思っていたが、秩父の長瀞も荒川だったと思い出す。ということで「彩湖」というヒッチコックの映画のような場所を目的地にした。環八から笹目通りに入って、高島平のあたりで荒川に向かう。電車で行くと随分遠回りさせられていた、マルセル・デュシャン「泉」のレプリカがある板橋区立美術館も近い。荒川の土手に上がってあたりを見渡す。多摩川だと山とか起伏があって「風景」になるのだが、埼玉らしい色気のない見晴らしだ。対岸に渡る橋を探しながら、荒川サイクリングロードを流す。土手やらグランドやらの草刈りをしていて、草の強いにおいがする。秋ヶ瀬橋を渡り彩湖へ。この調整池も色気が無い。途中でおじさんたちが模型のヨットレースをしていた。カウントダウンがはじまり、スタートしたはずなのだが、どのヨットもほとんど動かない。風があまりなかったからかどうか分からないが、面白そうではなかったので、ふたたび土手にあがると、河川敷に数軒のムラが出来ていた。里山的に整備されていて、小さな畑もある。増水は心配だが、人間はそうやって、自然と闘い、共存しながら生きてきたことを思う。河川敷の隣は整備されたゴルフ練習場だった。

至高者

この機会に、手を付けられていなかったモーリス・ブランショ『至高者』も読む。いいのか悪いのか分からないが、篠沢秀夫の翻訳が読みにくい。国家とか法とかの話のようですが、伏線として疫病の話も出てくる。ワクチンを打っていないせいで警察にぼこぼこにされる場面とか。疫病が国家とか法とかをむき出しにしてしまうのかもしれない。

基底材を猛り狂わせる

その150ページほどの本を、いつに手に入れたのかは分からないが、『基底材を猛り狂わせる』にいつかは挑戦しなくてはならないと思っていた。昨日、ふと手にとってめくったところ、今のなのではないかという気がした。ジャック・デリダのアントナン・アルトー論なのだが、昨日、9月4日はアルトーの誕生日だった。「描くことしかできない絵画」を描くことで超えるには《基底材》について深く考えなければならない。「絵」を描かないことで、絵画を超えたところで、それは何ものでもないのだ。基底材は支持体(紙や画布や板)のことだろうと思う。ジャック・デリダにとっての基底材とは「言語」なのだが、それが話をややっこしくしている。しかし文章なのだからそこから逃れられるわけもない。さらには「基底材と呼ばれるものが私を裏切った」というアルトーのデッサンに添えられた文章を起点にしていて、敗北は明らかだ。基底材を猛り狂わせるままにしておく他ないのだが、「おわかりか………」

基底材とはこの説明の場、詳細な説明の場、神の性的不器用さとの言い争い、ないし激論の場なのである。戦闘の場、決闘場、地面、寝台、層〔=婚姻の床〕、さらには墓――同時にこれらすべてなのであり、そこにおいて人は出産し、堕胎し、あるいは死亡する。生誕と死、土着化と堕胎がそこでは同時に起こりうる。基底材は下方にある、ないし広がっている、と言うだけでは十分ではない。幾つかの下部の間で戦争が生じるのである。

Balthus / room17

メトロポリタン美術館に展示されているバルテュスの《夢見るテレーズ》の撤去騒動や、<セクシスト>ピカソへの抗議活動、他にもいろいろあるのだろうが、それら「退廃芸術」への民衆による監視が進行していると聞く。バルテュスは晩年、目が悪くなって少女のデッサンが困難となったときにポラロイドカメラを使ってその代わりとした。それは下絵に過ぎないのだが、バルテュスでなければ撮ることのできなかったポラロイドとして、それはやはりバルテュスの作品なのだと思う。

ホスタイル・デザイン

以前からアートを排除することはあったと思う。聖像破壊運動やナチスの「退廃芸術展」などいろいろ思いつくものはあるが、芸術作品が排除の道具になったことは、近代以前は無かったのではないか。最近は「排除アート」が流行っているそうで、公園のベンチをはじめ街中に転がっている。岡本太郎が「座れない椅子」の作品を作っていたと思うが、「排除アート」のプロトタイプになったのかもしれない。ところで、僕は芸術と思える「排除アート」に出会ったことがない。昨今は何でもアートだそうなので、言葉や呼び方はどうでも良くなってきているが、少なくとも海外では、排除「アート」とは言わないらしい。Wikipediaによると、「英語でこれに相当するものはホスタイル・アーキテクチャ(Hostile architecture、「敵対的アーキテクチャ」)と呼ばれるほか、ディフェンシヴ・アーキテクチャ(defensive architecture、「防御的アーキテクチャ」)、ホスタイル・デザイン(hostile design、「敵対的デザイン」)、アンプレザント・デザイン(unpleasant design、「不快デザイン」)、ディフェンシヴ・アーバン・デザイン(defensive urban design、「防御的アーバンデザイン」)などと呼ばれることもある。 」英語で表現されている通り「排除技術」は建築やデザインの範疇だと思うが、だれが「排除アート」なとど言いはじめたのだろう。せめてアートは、フランダースの犬のルーベンスの絵のようであってほしい。高額の観賞料を払わなくても、ネロとパトラッシュはそれを観ることができ、念願を果たすことができた。

タリバンと私

日本では神仏混淆の江戸幕府が倒れ、明治政府によって廃仏毀釈や神社合祀が行われた。仏像を破壊して埋めたり、寺院を燃やしたり、神木を売り払ったりしたのだ。新国民は我先にとその破壊に協力したそうだ。20年前にタリバンがバーミヤンの仏像を破壊した時、そのビデオをテレビで見た時に、明治政府の行った非道とは違うのではないかと思った。その時、僕は爆煙の「バラモンのにおい」を感じると同時に、確かに彼らの嘆きを聴いた。すでに信仰の対象でもなく、遺跡として打ち捨てられていたバーミヤンの仏像。その仏像を壊すことで世界にアフガニスタンの実情を訴えようとしたのではないだろうか。その時若かったタリバンの彼らも高齢になっただろう。東西冷戦の犠牲となったアフガニスタンに平穏な日々が訪れることを願ってやまない。

タイフーンの吹いている朝

秋が来た日に必ず思い出す詩があります。何度も書いたことかもしれないが、西脇順三郎の『近代の寓話・秋』。子どもの頃、電気ストーブの剥き出しのニクロム線に鉛筆をあてて、その不思議な香りを嗅ぐのが好きでした。『秋』に出会って、あれは「バラモンのにおい」なのだと知らされたのです。今日、秋が始まった感じがしたので、STAEDTLERの青い鉛筆の削りかすを燃やして、バラモンとパンデミックの秋に思いをめぐらす

タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずつた木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ

西脇順三郎「近代の寓話・秋Ⅱ」