あらゆる享受=喜びは死である

知人が亡くなった。八年間の闘病を耐えて、今日、旅立ったのだという。仏教徒がお経を読むようにして、アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』の一節をタイプした。

 私たちは労働のみで、あるいはパンのみで。生きるのではない。生きることは、必要性、欠如、対象物を狙うことによって動かされる自発性(イニシアティブ)の連続ではない。生とは、徐々にそのたくわえを失う企てのなかで、繰り返し死を先送りする不安のなかで、必要と満足、食べることと再び空腹になること、飲むことと再び喉が渇くことを繰り返すことではない。生は享受=喜びである。私たちは、光、暖かさ、流れ、音の鳴り響き、天上の音楽、家庭と故郷の親密さ、異他的(エキゾチック)なものの計り知れなさのなかで、生きているのである。
 根源的なもののなかに官能的に包みこまれることは、人の目を輝かせ、手を暖め、姿勢を支え、声を能弁で生き生きしたものにし、顔を熱気に溢れたものにする。喜びに包みこまれることで、歓喜の中で解放されることを求める感謝に満ちた過剰なエネルギーが生みだされる。享受=喜びとは自由である。春の日の輝きと土の暖かさを享受することによって、私たちは、心配、願望、目的を忘れる。私たちは喪失と償いを忘れ、私たちをとらえているものから解放される。あらゆる享受=喜びは死である。それは、ハイデガー的な不安が承知しているような、受動性のなかへと移ることにより自己に巻き込まれ、自己のなかへと後退させられることとしての死でもない。根源的なものの、始まりも終わりもない、底知れぬ充溢のなかへと消えていくこととしての死なのである。

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 人が出かけていくのは、そこに行くように駆り立てられるからだ。人は、他者が、彼または彼女が、ひとりきりで死んでいくことのないように出かけていくのである。敏感さとやさしさと共に動かされる人の手の動きのすべてが、他者を感受する力によって、その人に向けられた命令を感知する。人は、他者のために、そして他者と共に、苦しまずにはいられない。他者が連れ去られてしまったときに感じる悲しみ、いかなる薬も慰めも効かなくなったときに感じる悲しみは、人は悲しまずにはいられないということを知っている悲しみなのである。

第13期ワンピース倶楽部展「はじめてかもしれない」

日本で最初の画廊をオープンしたのは「智恵子抄」で有名な彫刻家、高村光太郎だと聞いています。その頃はキュレーターはもちろんの事、ギャラリストもいなかった。美術作家が自律できていた時代だったのでしょう。とはいえ、制作を継続していくためには、いつの時代も美術収集家の存在は欠かせない。いろんな繋がりや出来事で「ワンピース倶楽部」という個人美術収集家グループの存在を知る。そのマニフェストは、

(1) ワンピース倶楽部の会員は、一年の間に最低一枚、現存するプロの作家の作品を購入します。
(2) ワンピース倶楽部の会員は、自分のお気に入りの作品を見つけるために、ギャラリー巡りや、美術館巡りなど、審美眼を高めるための努力を惜しみません。
(3) ワンピース倶楽部の会員は、各年度の終了したところで開催される展覧会で、各自の購入作品を発表します。

作品を購入したことが無い人も多い気がするキュレーターや評論家と違って、美術作家にとって何とも頼もしい存在だと思う。その「ワンピース倶楽部」が主催する展覧会が現在(9月25日~27日)アーツ千代田3331で開催されている。正直に言うと、あまり期待していなかったのですが、なかなか面白い展覧会でした。一点一点に購入の動機が記されていて、いわゆるコレクター展のようなビジネスとは違った視点のものなのではないかと思います。大浦信行氏の「遠近を抱えて」(オークションで購入とのこと)全作品が展示されていたのも、この「ワンピース倶楽部」の奥の深さを垣間見るようでした。

自分自身がいまだに作品の売り買いに戸惑っている状態なので、この運動をどう捉えればいいのか躊躇していますが、少なくとも先日観に行った、東京都現代美術館の「オラファー・エリアソン」展の優等生的な感性よりは、刺激的なものであったことは間違いありません。

まだ観ぬルーブル

あれは、2003年の夏でした。この時、俺は確かにルーブル美術館の入り口まで行ったのです。だがしかし入場してはいません。なぜなら、旅程の残りの最後の一日、ゴッホの墓を探していたのです。安ホテルの主人にゴッホの墓はどこにあるかと聞いて、その通りに目指したら、そこはルーブル美術館でした。一時間ぐらいなら大丈夫な時間でしたが、すでにルーブルに入ったことのある旅仲間に、一度入ったら、もう出られなくなるとの脅しに負けてしまいました。今後、おフランスに行くことは無さそうです。

あれはとほいい処にあるのだけれど

暑い夏には2003年に行った40℃越えの猛暑のヨーロッパを思い出します。目的地はポルトガルでしたが、その時一番安かったフランス行きの飛行機で、その後の列車の予定の確認の仕方も分からず、とりあえず旅立ちました。どう乗り継だかも覚えていないのですが、鈍行の列車で数日かけてなんとかポルトガルにたどり着きました。その途中乗り継ぎで寄った駅でその日はもう列車が無く、なんとかホテルを探して一泊したのですが、キリスト教の有名な祭りがあるということで、観光をしました。なにかのいわれがあったのですが、もう忘れています。海岸に大勢の人が集まり、多分何かの儀式をしたのちに花火を上げていました。公園ではメリーゴーランドが回り、楽団が演奏をしています。デジカメはブレまくりでしたが、よい想い出なのかもしれません。

 

ブログをリニューアルしました。

2009年に新しくWordpressで始めたこのBlogは、(アーカイブを追ってみると、2010年~2013年の間は更新していませんでした。)スラヴォイ・ジジェクが書いた、9月11日の米同時多発テロにまつわるエッセイ「現実界の砂漠へようこそ | Welcome to the desert of the real」をタイトルとして続けてきました。9.11も3.11もアラブの春から続く民主化運動の状況も、現実の「砂漠」を垣間見せるものだと思ってきましたが、新型コロナのパンデミックを経験して、現実は決して砂漠ではなく、もっと湿度の高い息苦しいものだと知りました。表現における匿名性といったものが、数年は続き再び起こるであろうパンデミックの下ではマイナスに働くだろうと考え、Blogのタイトルを「Seiji Ueoka」として、最近、取り組んでいる写真などの視覚表現をメインにリニューアルします。
instagramもあわせてご覧ください。

カラス

私用があって、7月末に広島へ行きました。広島駅から直接、原爆資料館に向かい、前回は工事中で見ることのできなかった本館を巡りました。ここでも〈記憶〉が〈記録〉に変容しようとしているようです。コロナ禍で人出や都市のゴミが少なかったりするせいでしょうか、前回は気にならなかったカラスが小雨の降る原爆ドームの、剥き出しのままの鉄骨に群がっていました。雨のせいか「原爆の子」も悲しい表情で、涙を流しているようです。

「ますらおぶり」と「たおやめぶり」

正岡子規は賀茂真淵の「ますらおぶり」を俳句に適応して、写生俳句を発見したのだが、やはり写真は「たおやめぶり」ではダメなのではないかと思う。形容詞を多用した「たおやめぶり」の気持ちの表現ではなく、日常の写生からそれぞれの神話を発見しなければならない。「ますらおぶり」につきまとう「男らしい」「日本男児らしい」という形容詞は無視しよう。実際、神話は国家とは関係の無いものなのだ。感情を表現することはポピュリズムに過ぎない。気持ちを歌うポピュラー音楽は「たおやめぶり」なのだ。だがしかし、それはそれで、自分にとっても人間にとって必要なものだとも思う。

香港は手ごわかった

香港発のカメラ、HOLGAの中古を千円ちょっとで手に入れて(前回記事:世界で唯一魂を持つカメラ)、白黒フィルムで写してみました。さすがに香港は手ごわかったです。現像液から浮かんできたものは、イメージとは全く違った、ロバート・キャパ的な、すべてが戦場のような、よく分からない写真でした。6×4サイズにしてみたのも良くなかったのかもしれません。そのうち6X6サイズのカラーに挑戦してみようと思います。香港(HOLGA)を手なずけるには並大抵のことではうまくいかないでしょう。