ホスタイル・デザイン

以前からアートを排除することはあったと思う。聖像破壊運動やナチスの「退廃芸術展」などいろいろ思いつくものはあるが、芸術作品が排除の道具になったことは、近代以前は無かったのではないか。最近は「排除アート」が流行っているそうで、公園のベンチをはじめ街中に転がっている。岡本太郎が「座れない椅子」の作品を作っていたと思うが、「排除アート」のプロトタイプになったのかもしれない。ところで、僕は芸術と思える「排除アート」に出会ったことがない。昨今は何でもアートだそうなので、言葉や呼び方はどうでも良くなってきているが、少なくとも海外では、排除「アート」とは言わないらしい。Wikipediaによると、「英語でこれに相当するものはホスタイル・アーキテクチャ(Hostile architecture、「敵対的アーキテクチャ」)と呼ばれるほか、ディフェンシヴ・アーキテクチャ(defensive architecture、「防御的アーキテクチャ」)、ホスタイル・デザイン(hostile design、「敵対的デザイン」)、アンプレザント・デザイン(unpleasant design、「不快デザイン」)、ディフェンシヴ・アーバン・デザイン(defensive urban design、「防御的アーバンデザイン」)などと呼ばれることもある。 」英語で表現されている通り「排除技術」は建築やデザインの範疇だと思うが、だれが「排除アート」なとど言いはじめたのだろう。せめてアートは、フランダースの犬のルーベンスの絵のようであってほしい。高額の観賞料を払わなくても、ネロとパトラッシュはそれを観ることができ、念願を果たすことができた。

タリバンと私

日本では神仏混淆の江戸幕府が倒れ、明治政府によって廃仏毀釈や神社合祀が行われた。仏像を破壊して埋めたり、寺院を燃やしたり、神木を売り払ったりしたのだ。新国民は我先にとその破壊に協力したという。20年前にタリバンがバーミヤンの仏像を破壊した時、そのビデオをテレビで見た時に、明治政府の行った非道とは違うのではないかと思った。その時、僕は爆煙の「バラモンのにおい」を感じると同時に、確かに彼らの嘆きを聴いた。すでに信仰の対象でもなく、遺跡として打ち捨てられていたバーミヤンの仏像。その仏像を壊すことで世界にアフガニスタンの実情を訴えようとしたのではないだろうか。その時若かったタリバンの彼らも高齢になっただろう。東西冷戦の犠牲となったアフガニスタンに平穏な日々が訪れることを願ってやまない。

タイフーンの吹いている朝

秋が来た日に必ず思い出す詩があります。何度も書いたことかもしれないが、西脇順三郎の『近代の寓話・秋』。子どもの頃、電気ストーブの剥き出しのニクロム線に鉛筆をあてて、その不思議な香りを嗅ぐのが好きでした。『秋』に出会って、あれは「バラモンのにおい」なのだと知らされたのです。今日、秋が始まった感じがしたので、STAEDTLERの青い鉛筆の削りかすを燃やして、バラモンとパンデミックの秋に思いをめぐらす

タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずつた木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ

西脇順三郎「近代の寓話・秋Ⅱ」

ブレの永遠性

傷がついた樹皮を白黒フィルムで撮影した。少しブレたのだが、永遠を感じるのはなぜかと考えてみたところ、洞窟壁画に似ているのではないか。昔の印刷はかなりの率でラスコー洞窟の壁画が版ずれしていた記憶があります。古代美術と言えば「ヴィレンドルフのヴィーナス」が「危険なポルノ」であるとFacebook社が検閲(のちに謝罪)したそうです。

ペットボトルと農民芸術

天沼弁天池公園にはいくつかのペットボトル風車が回っている。CDやペットボトルが回っているのは、田んぼや畑の鳥よけで、案山子のような農民芸術だと思っていた。ネットで調べてみると、ペットボトル風車は子供たちの工作として広まっているらしい。昔の家庭ごみを使った工作と言えば、かまぼこ板と決まっていた。ただ、何を作ったかさっぱり覚えていない。今や工作はペットボトルなのだなと思う。ペットボトル風車にモーターを取り付けて風力発電の実験もしているらしく、自然エネルギー/エコロジー教育にも使われているとのこと。マイクロプラスチック汚染の元凶のように扱われているペットボトルは農民芸術を広めているのだ。☆ペットボトルはリサイクルへ。

Lomography

インスタグラムを見ているとロシアのアマチュア写真に面白いものが多い。民衆芸術はやはりロシアなのだ。ソビエト時代にレニングラード光学器械連合(LOMO)が作ったLC-Aという日本のカメラのコピーがあるのですが、その品質の悪さによる偶然性や味のある描写には熱烈なファンがいて、ロモグラフィーという芸術運動も起こったそうです。いわゆるトイカメラの起点となるこのカメラをウィーンのロモグラフィー社が引き継ぎ、現在も発売されています。このロモグラフィー社が面白くて、今どきフィルムカメラやフィルムの新製品を出し続けています。ロモグラフィーのコミュニティサイトには容量無制限で写真をアップできるアルバム機能もあって、特に制約があるわけでは無いのですが、そのほとんどはフィルム写真です。フィルムやフィルムカメラの参考に見ていたのですが、思い立って自分も登録してみたところ、lomography.jpが毎月10点ピックアップしているコーナーに選ばれていて、自分の民衆芸術度が評価されたようで嬉しかった。

https://www.lomography.jp/magazine/346310-lomography-trending-photo-of-april

増感/減感

なんとか失敗しないでLPLのステンレスタンクリールにフィルムを巻くことが出来るようになった。増感/減感現像にも手を染めてしまった。そういうことだったのかと気づく。

Shinjyuku | 増感現像
Park #07 | 減感現像

四月は残酷極まる月だ

4月になるとT・S・エリオットの『荒地』をもう何十年も繰り返し思い起こしている。

話はそれますが、アイドル全盛時代に青春を過ごした俺は、数年毎にアイドルに目覚めているようです。とはいえ、それなりにはまったのは、麻丘めぐみ、大場久美子、華原朋美、中島美嘉ぐらいですが、最近なぜか姉妹が気になる。もちろん叶でも阿佐ヶ谷でもありませんが、上白石ではそれほど違いはないのかもしれません。若者の昭和好きの表象が上白石姉妹なのかもしれないとも思います。

四月は残酷極まる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起すのだ。

 

浅葱色

散歩写真を撮りながら、扱いに困ってエアコンの室外機の奥に立てかけるしかなかった町内地図看板が目につきました。普段なら気にも留めない、よくある看板です。手書きで作られた、家の境界線もほどんど消えている古い看板。郷愁を覚える色に惹かれたのだと思います。いわゆるパステルカラーで「ミントグリーン」だと思いましたが、気になってネットで色見本を探して比較してみると、ミントグリーンよりも青みがあって、英語(カタカナ)名の色見本に近い色はありません。日本の色として紹介されている「青竹色」「浅葱色」が近いようです。リトグラフを制作していた頃、使っていたオフセット用のインクの中に「浅葱」というのがあったのを思い出しました。日本のペンキ/インク関係では定番色なのでしょう。中原中也の「言葉なき歌」を思い出す。

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡い