白い雨

広島アビエルト芝居小組公演3年目の舞台美術の手伝いを終えて、JR可部線「上八木駅」から「横川駅」に行く。「横川駅」は井伏鱒二の小説「黒い雨」の語り部である閑間重松が被爆した駅だ。電車を一本乗り過ごしてしまったので、午前8時15分には間に合わなかった。駅のホームには時計が無い。最近、JRが時計を取り外しているそうだが、駅のホームに時計が無いのはどうかと思う。1945年8月6日当日の閑間重松の足跡を辿ろうと、横川駅から歩き始めた。

空には雲一つなく、太陽の核融合の光が燦燦と降り注いでいた。土地勘が無いので道を間違えたり、迷ったりしながらも、2日間かけて大雑把に足跡を辿ることは出来た。それなりの理由があるとしても、原爆が投下され、混乱の極みにあった日に、どうして広島中を歩き回らなければならなかったのだろう。だが、そのおかげで原爆投下当日の広島の全体像が描かれることになった。この小説は重松静馬の「重松日記」を元に書かれたという。

翌日は雨だった。白い雨だ。広島駅前のホテルから宇品港まで歩き、横河駅まで戻る。東京への列車に乗るために広島駅に着いた頃には日が暮れていた。重松が通った道はいくつか行きそびれてしまったが、アビエルトの芝居で語られていた、頂部に金鵄が飾られている「平和塔」に立ち寄る。元々は「日清戦争凱旋碑」だったのを、敗戦後に「凱旋碑」の文字をセメントで塗りつぶし「平和塔」に変えてしまったそうだ。他にも白く塗りつぶされたり、地中に埋められたりした碑がいくつかあるらしい。日本人らしいといえばそれまでだが、とにかくそれは御幸通り、御幸橋近くの脇道を入った住宅地の小さな公園に似つかわしくない様で、今も立ち続けていた。