カラス

私用があって、7月末に広島へ行きました。広島駅から直接、原爆資料館に向かい、前回は工事中で見ることのできなかった本館を巡りました。ここでも〈記憶〉が〈記録〉に変容しようとしているようです。コロナ禍で人出や都市のゴミが少なかったりするせいでしょうか、前回は気にならなかったカラスが小雨の降る原爆ドームの、剥き出しのままの鉄骨に群がっていました。雨のせいか「原爆の子」も悲しい表情で、涙を流しているようです。

「ますらおぶり」と「たおやめぶり」

正岡子規は賀茂真淵の「ますらおぶり」を俳句に適応して、写生俳句を発見したのだが、やはり写真は「たおやめぶり」ではダメなのではないかと思う。形容詞を多用した「たおやめぶり」の気持ちの表現ではなく、日常の写生からそれぞれの神話を発見しなければならない。「ますらおぶり」につきまとう「男らしい」「日本男児らしい」という形容詞は無視しよう。実際、神話は国家とは関係の無いものなのだ。感情を表現することはポピュリズムに過ぎない。気持ちを歌うポピュラー音楽は「たおやめぶり」なのだ。だがしかし、それはそれで、自分にとっても人間にとって必要なものだとも思う。

アトムレンズ

MINOLTA SR-T101 x MC W.ROKKOR-SI 1:25 f=28mm x FUJIFILM 業務用 100

28mmの中古レンジファインダーフィルムカメラを探していましたが、どれも元々が高級カメラらしく中古でもお高いので、安いものはないかと目にとまったのが、28mmレンズの付いたジャンク扱いのミノルタSRT101。ユ-ジン・スミスが「水俣」の撮影に使った名機とのこと。送られてきたカメラはかなり傷んでいるようです。メンテナンスをしてなんとか使えそうになりましたが、28mmレンズを付けてファインダーを覗くとなんだか黄色い。コーティングというわけでもなさそうなので、調べてみると、この「MC W.ROKKOR-SI 1:25 f=28mm」はアトムレンズというものらしい。放射性物質の酸化トリウムを添加したレンズで、トリウムの含有量が多いものだと、2.0μSV/hrを越える放射能を出し続けているそうです。恐ろしいレンズを手に入れてしまいましたが、実はアトムレンズはけっこうたくさん作られていたようです(Radioactive lenses)。さすがに今は作られてはいないそうですが、放射性廃液の「ガラス固化体」はこの技術を使っているのだろうなと思うと、考えさせられるものがあります。

アトムレンズは放射能のせいで黄変が進行するとのこと。このレンズは1969年発売なので、50年の経年黄変があります。紫外線を当てると黄変が改善されるらしいのですが、せっかくなので放射能を通した世界を写真に収めようと、黄変したままのレンズを持って、東大和の薬用植物園に行きました。薬用植物園には2~30年前に一度行ったことがあって、燃やした煙を吸うと、あっという間に気が狂ってしまうらしい大麻という植物や、根っこを食べると朝まで走り続けてしまうらしい、ハシリドコロという毒(ロート)を持った草などが生えていて、驚いた覚えがあります。アトムレンズで撮影するにはちょうどいいかなと思いました。

大した放射能ではないとはいえ、反核の自分としてはこのレンズをいつも持ち歩くわけにもいかないので、他に放射能無しの28㎜レンズを手に入れないとなりません。このレンズは押し入れの奥にでもしまっておいて、いつか原子力発電所を撮ろうと思います。

分解したミノルタSRT101は糸だらけの面白い機械でした。この連動糸は50年以上切れずにいるようです。シャッター音がえらく大きいので普段は使いにくそうですが、これぞ一眼レフといった硬派なカメラです。

地蔵前公園

YASHICA ELECTRO 35 MC × FUJIFILM 業務用 100

地図を調べると、近所に地蔵前公園というのがありました。地蔵があるのだろうと行ってみたら、たしかに二体鎮座しています。前掛けで全体は見られませんが、三猿が彫られているものもあります。様々な人たちがいろいろな思いで作ったのでしょう。疫病に対する庶民の行動としては、道祖神や庚申塚を調べた方がよさそうです。道祖神は神奈川や信州、秋田に多いそうですが、杉並には天沼熊野神社に最近(2002年)置いたのがあるようです。柳田、折口、熊楠を読みなおそうと思います。まずは柳田国男の『石神問答』から。

ヤシカエレクトロ35

YASHICA ELECTRO 35 MC × FUJIFILM 業務用 100

ヤシカエレクトロ35MCが届く。電池を入れて確認すると、緑のランプも付くし、露出計も生きていた。裏蓋のモルトがきれいに剥がされていたので、貼り込んだ。ファインダーも清掃する。夕方、近所を散歩して試し撮りをしました。手のひらに収まるサイズのカメラ、スナップには使いやすいですが、やはりASA100だとブレてしまいます。ASA400のフィルムを使おう。

子育地蔵・馬頭観音石仏群

Yashicaflex x ILFORD HP5 PLUS / MINOLTA AL-E x 業務用 ISO100

疫病といえば大仏だ。そろそろどこかで建立し始めるのではないだろうか。かつては飢饉や疫病といえば神仏に頼るのが日本の常だったが、最近は政府に頼ることになっているらしい。オウム真理教の事件以降、宗教的な事柄はあまり表に出なくなっていると思う。今やいろんな新興宗教が出てきてもおかしく無いご時世になっているのではないだろうか。あてにならない政府に、悲痛な声が聞こえてくる。どれだけ政府に懇願してみても、救われることはないだろう。古の人々がどのように危機を乗り越えてきたかを感じるために、地蔵を探してみた。荻窪の北、今川に「子育地蔵・馬頭観音石仏群」というのがあるらしい。開発などで撤去されたお地蔵さんを安置している場所のようだ。二眼レフを持っていく。そこは小さいが落ち着く場所だった。二眼レフにはISO400の白黒フィルムを入れていたが、さて撮ろうと設定しようとすると目盛りが200までしかない。YashicaFlexは1950年代のカメラなのだ。今回も露出とピントで散々だった。再度撮影しに行こうと思う。露出計を修理したミノルタのコンパクトカメラAL-Eでもスナップを撮ってみる。フィルムには場所場所の空気感も写っているように思えた。