民衆芸術運動(7)

「へちま」閉店後、久板は以前からその必要性を感じていた、労働者街で労働者と共に生活することで運動を広げて行くために、売文社の和田久太郎と共に、日暮里の労働者街に移り住む。同時期に同じ考えから亀戸の貧民街の借家を借りた大杉栄に呼ばれ、伊藤野枝、生まれたばかりの魔子との五人で共同生活を始める。
一方、千駄木に引っ越した望月は会社勤務を続けながら、大杉栄の「文明批評」出版を手伝ったり、会社の労働組合で活動を行うなど、久板とは違った方法で運動を続けていた。

bunmeihihyo

前年から始まったロシア革命の進捗と共に、日本の労働運動の機運が高まっていた時代であった。