市民ファシズム

最近、自転車に乗っているとおまわりによく止められる。それも真っ昼間から。昔はずいぶんな夜中でないとそんなことは無かったのだが。人相が悪くなってきた事もあるのだろうが、それにしてもうざい。イヤホンを耳に付けて自転車に乗っているだけで注意される。そんな法令聞いた事無いよと聞き返すと「あなたの安全のためだから」とのたまわる。じゃあカーオーディオやカーナビはどうなんだ!?と聞こうと思ったがやめた。だって無理だもん。あきらめも肝心なのです。そんなお巡りが根拠も無いことについていろいろいうようになってしまったのは「市民ファシズム」のせいだとボクは思う今日この頃です。

農地解放とメディア解放

戦後の農地解放が気になる。日本人の半数以上が農民だった頃の話しだ。これは維新よりも敗戦よりも重要な出来事だと思う。農地解放が日本に何をもたらし、なにを奪ったのか。地主から土地を奪い、小作農に農地を与えたという以上の何かがそこにはある。現在の穀物自給率約30%というこの自然環境に恵まれた日本のゆがみの原因がそこにはある。年間三万人を越える自殺者、派遣労働の問題の原因がそこにはある。都市のことばかり考えても、日本の現状を理解することは決してできないだろう。そして今、戦後の農地解放と同じことが起きている。それは安価な記録/編集機材とウェブによるメディア解放だ。ここで安っぽい開放感に浸っているだけでは、溢れる情報に押しつぶされるだけだろう。

シュンタロウのバカ

日本生命だったかのコマーシャルで、谷川俊太郎は「けれど目に見えぬこの商品には、人間の血が通っています。」と言っていた。見ていて背筋がぞっとした。生命保険会社に集まるお金がなにに使われているのか。老後の幸せを買うための年金がなにに使われてきたのか。もしシュンタロウに少しの良心が残されていたとしたら、「目に見えぬこの商品は人間の生き血を吸って膨れ上がってるんだぞ気をつけろ!」とでも言いたかったのかもしれないな。金より怖い金融商品、、、。

革命の不可能性

変革や革命を訴える人たちの中に、保身のために自分以外の世界を変えようとする人たちが少なからずいる。自分自身も変化しながら世界を変革しようとするのでなければ革命は不可能だし、万が一革命が成功したとしても、そこは今よりつまらない世界に決まっている。この世界に守るべきものもなく、われらに守るちからもない。戦争を見よ。守るという大義名分のもとでの破壊行為。守るということは破壊することだ。そこまでして、何を破壊したいというのだ。生きるということは変わり続けることだろう。新しいものを創造し続けるしか他に道はないのだ。

智恵子は東京に景色が無いという

とうとう東京から風景も景色も自然も無くなる時がやってきたようだ。
全てのマスコミが広告と化したように、やがて世界の空間は全て広告と化すだろう。

ナイキに命名権売却へ 渋谷区 宮下公園、1700万円で

ナイキって安保の頃は米国製ミサイルのことだったよなと、ああなるほどね。

楢山節

楢山祭りが三度来りゃよ
栗の種から花が咲く

塩屋のおとりさん運が良い
山へ行く日にゃ雪が降る

ねっこのおばやん納戸の隅で
鬼の歯を三十三本揃えた

かやの木ぎんやんひきずり女
せがれ孫からねずみっ子抱いた

年に一度のお山のまつり
ねじりはちまきでまんま食べろ

夏はいやだよ道が悪い
むかでながむし山かがし

なんぼ寒いとって綿入れを
山へ行くにゃ着せられぬ

三十すぎてもおそくはねえぞ
一人ふえれば倍になる

豆を食うなら ひやかして
お父っちゃんは盲で目が見えぬ

お父っちゃんは出て見ろ枯木ゃ茂る
行かざなるまい、しょこしょって

山が焼けるぞ 枯木ゃ茂る
行かざなるまい、しょこしょって

つんぼゆすりでゆすられて
縄も切れるし縁も切れる

お姥捨てるか裏山へ
裏じゃ蟹でも這って来る

這って来たとて戸で入れぬ
蟹は夜泣くとりじゃない

墓場としてのミュージアム

ニューヨークにあるメトロポリタンミュージアムには、数々の美術品工芸品とともにエジプトの墓やミイラが展示されている。ロンドンの大英博物館にはそれ以上のミイラや埋葬品が展示されているらしい。日本語では博物館と美術館は言葉として分けられているが、西洋ではどちらもMuseumである。日本の古墳にも美術品は遺体とともに埋葬されていたし、神社・寺院には宝物殿があったりする。ミュージアムとは公開された墓場である。ハレの場に欠くことのできない芸能・芸術を殺し、ケガレの場に閉じ込めて、それらが内包している破壊的な力、革命的な思考を無力化することにミュージアムの隠された役割があるのではないだろうか。

Hello world

WordPresをインストールすると、デフォルトで「Hello world!」という記事が表示される。また、ほとんどのプログラム入門書では、まず「Hello world」を表示させるチュートリアルから始まっている。このブログも「Hello world」からはじめてみようと思った。このブログのサブタイトルは「Welcome To The Desert Of The Real – 現実界の砂漠へようこそ」だし。