山頭火を生きる:三月十三日

折々降るが、ぬくいので何よりだ。
思ひ立つて山口へゆく、椹野川風景もわるくない、桜冬木、白梅紅梅、枯葦、枯草、ことに川ぞひの旧道は自動車が通らないのがうれしい。
蕎麦は敦盛、味は義経――このビラには新味はないが効果はあらう。
温泉はよいなあ、千人風呂は現世浄土だ。
鰯の卯の花はうまかつた、一つ三銭、三つ食べた。
秤り炭二十銭、線香十銭、これが今日出山の目的の買物だつた。
定食二十銭の(これはたしかに安い)一杯機嫌で映画館にはいつた、何年ぶりのシネマ見物だらう、今日初めてトーキーを聴いたのだから、私もずゐぶん時代おくれだ。
ぬかるみを五里ぐらゐ歩いたらう、くたぶれた、帰庵したのは一時頃、それからお茶をわかして。……
手足多少の不自由、何だか、からだがもつれるやうな。

・生きてゐるもののあはれがぬかるみのなか
・いつも馬がつないである柳萠えはじめた
・猫柳どうにかかうにか暮らせるけれど
 ぬくい雨でうつてもついても歩かない牛の仔で
・焼芋やいて暮らせて春めいた
・監獄の塀たか/″\と春の雨ふる
・病院の午後は紅梅の花さかり
・ずんぶりと湯のあつくてあふれる(湯田温泉)
・早春、ふけてもどればかすかな水音
・春めけば知らない小鳥のきておこす
・あたゝかい雨の、猿のたはむれ見てゐることも

山頭火を生きる:三月十二日

ぬくい雨、さう/″\しい風、ひとりしづかに読書。
記念写真帖について、大山君、瀧口君の友情こまやかなるにうたれた、私はその友情に値しない友人だ、省みて恥づかしかつた。
熱い湯にはいつて身を洗ひ心を洗つた。
待てども樹明来らず、私一人で飲んで食べて、そして寝た、そこへやつてきた樹明、そして私、何だか二人の気持がちぐはぐで、しつくりしなかつた。

 風のなか酔うて寝てゐる一人
・木の芽、いつもつながれてほえるほかない犬で
・つながれて寝てゐる犬へころげる木の実
・春風のはろかなるかな鉢の子を
・からりと晴れたる旅の法衣の腰からげ

山頭火を生きる:三月十一日

晴、晴、朝酒はよいかな、よいかな。
街へ、飲みすぎ食べすぎのたたりてきめん、身心がだるい、熱い溢れる湯にはいりたくなり湯田へ行かうかとも思つたが止めにして戻る。
水菜一把四株四銭也。
酒もある、肴もある、そして餅もある、其中一人春十分。
酒ぼいとう! おもしろい方言ではないか。
疾病の福音、事々是好事。
花時風雨多し、春めいて花が咲きはじめる、曇が雨となり風となつた。

・枯枝ひらふにもう芽ぶく木の夕あかり
・春の夜の街の湯の湧くところまで
・つゝましく大根煮る火のよう燃える
 曇り日のひたきしきりに啼いて暮れる

山頭火を生きる:三月十日

晴、なか/\冷たい、霜がふつてゐる。
あれやこれやと東上準備、なか/\忙しい。
また山の方へ。――
独酌二本、対酌三本、酒は味ふべし、たゞ/\味ふべし。
夕方、樹明君来庵、ハムと餅を持つて、――酒は買ひに行く、ハムはおいしかつた、餅はおいしいよりも腹をふくらす。……
樹明君おとなしく帰る、私は街へ出て歩く。
今夜は多少の性慾を感じた、それがあたりまへだ、人間は人間でよろしい、枯木寒巌になつては詰らない。
おそくなつて帰庵、見ると机上に酒壱本と海苔一袋とが置いてある、T子さんに間違はない、だいぶ待つたらしい形跡がある、私も樹明君もゐなくて、かへつてよかつた、よかつた。

・日かげりげそりと年をとり
・そこらに冬がのこつてゐる千両万両
・地つきほがらかな春がうたひます
・ゆふべはゆふべの鐘が鳴る山はおだやかで
・鴉があるいてゐる萠えだした草

山頭火を生きる:三月九日

春光うらゝかなり、陽はあたゝかく風はさむい。
けふも餅を焼いては食べた、まだ米はあるけれど。
風よふくな、鴉よなくな。
電燈屋さんが二人連れでやつてきたが、お気の毒様、庵には電燈もありません。
藪椿を活ける、水仙もよかつたが椿もよいな。
はじめて蛙を見た、蛙よ、うれしいか、とんでゐる。
やぶれかけた心臓が私に自然的節酒ができるやうにしてくれました。

 風ふく日の餅がふくれあがり
・水田も春の目高なら泳いでゐる
・眼は見えないでも孫とは遊べるおばあさんの日なた
・もう春風の蛙がいつぴきとんできた
・夕ざれはひそかに一人を寝せてをく
・山から暮れておもたく背負うてもどる

山頭火を生きる:三月八日

降つても照つても、晴れても曇つても、風が吹いても、春が来てゐることに間違はない。
日がさすと、雲雀が出てきてあるいてゐる、私も出てあるく。
緑平老、春風春水、一時到!
新酒二合の元気で、街へ山へ。
酔はねばさびしいし、酔へばこまるし。
歩いてゐると、足がしぜんに山の方へ向く、私は本能的に山が好きだ。

・遠山の雪のひかるや旅立つとする
・影も春めいた草鞋をはきかへる
・春がきてゐる土を掘る墓穴
 これだけの質草はあつてうどんと酒
・みちはいつしか咲いてゐるものがちらほら

山頭火を生きる:三月七日

晴、春風しゆう/\だつたが、午後は曇つて降つた、しかし昨日の雪のとけるといつしよに冬はいつてしまつたらしい。
草が萠えだした、虫も這ひだした、私も歩きださう。
一片の音信が、彼と彼女と私とをして泣かしたり笑はしたりする、どうにもならない私たちではあるが。
街へ出て、米すこしばかり手に入れる、餅ばかりでは困る。
心臓がわるい、心臓はいのちだ、多分、それは私にとつて致命的なものだらう。
どうせ畳の上では徃生のできない山頭火ですね、と私は時々自問自答する、それが私の性情で、そして私の宿命かも知れない!

・晴れて風ふく春がやつてきた風で
・日がのぼれば見わたせばどの木も春のしづくして
・む(マヽ)のむしもしづくする春がきたぞな
・木の実ころ/\ころげてくる足もと
・豚の子のなくも春風の小屋で
・まがればお地蔵さまのたんぽぽさいた

山頭火を生きる:三月六日

雪、雪、寒い、寒い。
母の祥月命日、涙なしには母の事は考へられない。
終日独居。
友はありがたいかな、私は親子肉縁のゆかりはうすいが、友のよしみはあつい、うれしいかな。
忘れられた酒、それを台所の片隅から見出した、いつこゝにしまつてゐたのか、すつかり忘れてゐた、老を感じた、その少量の酒をすゝりながら。……
陶然として、悠然として酔ふた、そして寝た、寝た、宵の七時から朝の七時まで寝つゞけた。

・雪あした、すこしおくれて郵便やさん最初の足跡つけて来た
・死ねる薬はふところにある日向ぼつこ
・水のんで寝てをれば鴉なく
・売れない植木の八ツ手の花
・寒い雨がやぶれた心臓の音