山頭火を生きる:三月三日

さむいけれどうらゝかである、餅と酒と豆腐と。
樹明君を徃訪して、帰庵して、御馳走をこしらへて待つ、待ちきれなくて街をあるく、帰つてみれば、樹明君はちやんと来てゐて、御馳走を食べてゐる、さしつさゝれつ、とろとろとなる、街へ出てどろ/\となつて別れる。
・酔ひざめの春の霜
・藪かげほつと水仙が咲いてゐるのも
みんな酔うてシクラメンの赤いの白いの
・風がふくひとりゆく山に入るみちで
・すげなくかへしたが、うしろすがたが、春の雪ふる(樹明に)
・洗つても年とつた手のよごれ
・心あらためて土を掘る

粉川哲夫著 『映画のウトピア』 2013 芸術新聞社

粉川さんの久々の単著『映画のウトピア』を読んだ。映画(メディア)は現実であることがよくわかる。ドキュメンタリー映画だけが現実に関わっているのではなく、ドラマ映画も現実の一部なのだ。

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ドキュメンタリーからポルノまで、様々な映画を批評しながら、そこでは、コラージュ/モンタージュ/異化/カットアップ/カットゥン・ミックスが行われ、各章を1本の映画として読む(みる)こともできる。

『映画亡命者の日記』
『アメリカ映画の主流と支流』
『シネマ・シガレッタ』
『映画的記憶の再配置』
『孤独者のテレパシー』
『一期一会』

これまで、あまり映画を観てこなかったが、観たい映画がたくさん生まれた。以下に本を読んで、観たくなった(もう一度観たくなった)映画リストを羅列しておきます。

山頭火を生きる:三月二日

晴、春寒、不自由不愉快。
我儘な猟人が朝からパン/\うつ、気の毒な小鳥たちよ。
何事も積悪の報い、甘受いたしませう。
孤独、沈黙、句作。
めづらしや女性来訪、F屋のおばさんとちいちやん、水仙もらひに寄つたのです、紅茶を御馳走する。
夜、冬村君来庵、お土産として水餅どつさり。
つゞいて樹明来、おとなしくすぐ帰宅。
さらにTさんがやつてくる、酒を持つて、――おそかりし、おそかりし。
月のあかるさ、一人のよろしさを味ふ。
・風が明けてくる梅は満開
いつもつながれてほえる犬へ春の雪
待つても来ない木の葉がさわがしいゆふべとなつた
・ちかみちは夕ざれの落葉ふめば鳴る
さむいゆふべで、もどるほかないわたくしで(樹明君に)
犬がほえる鳥のなく草は枯れてゐる
・水底ふかくも暮れのこる木の枯れてゐる

山頭火を生きる:二月廿八日

芸術は誠であり信である、誠であり信であるものゝ最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであろう、澄太や一洵にゆつたりとした落ちつきと、うつとりとした、うるほひが見えてゐて何かなしに人を動かす力があるのはこの心があるからだと思ふ、感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろう、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。

種田山頭火『一草庵日記』十月八日、最後の日記

変なことを思いついた。

種田山頭火終焉の地「一草庵」が山裾にある御幸寺山は子供の頃の遊び場だった。夕暮れ時には「一草庵」の庭を通って帰っていた。
今日、なんとなく山頭火を読みたくなり、青空文庫を覗いていた。
五十歳から始まった『其中日記』には、自分と同じ歳の今日の日記もあるはずだと探してみた。

二月廿八日

片手の生活、むしろ半分の生活がはじまる。
不自由を常とおもへば不足なし、手が二本あつては私には十分すぎるのかも知れない、一つあれば万事足る生活がよろしい。
街へ米買ひに、――食べずにはゐられないことは困つたことだ。
身辺整理、――遺書も認めておかう。
樹明君が病状見舞に来てくれる、酒と下物とを持つて。
死を待つ心、おちついて死にたい。

鳴きつゞけて豚も寒い日
・何やら来て何やら食べる夜のながいこと
もう一杯、柄杓どの(酔ざめに)
・月がぱち/\お風呂がわいた
夜ふかうして白湯のあまさよ
追加
乞ひあるく道がつづいて春めいてきた

しばらく左手が調子悪かったらしく、なんだか死を覚悟して準備をする気になった日らしい。で、思いついたのは、このブログに日記として山頭火の日記を転載してみるという、ひどくつまらないことに思えるのですが、「所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にありえない」ということで、とにかく始めてみることにします。今日は片手が動かずつらい一日でした。

次の日記は三月一日です。

雪の下の蟹

今回の大雪は懐かしい感じがした。生まれ育ったのは四国松山で雪が積もることは殆ど無い。記憶を辿ると、古井由吉「雪の下の蟹」を読んだ時の感覚だと思い当たる。好きな小説だったと思うが、主人公の男が雪に閉ざされた金沢で、毎日雪かきをしているという事以外思い出せない。安倍公房の「砂の女」に似てたような気もするが、違っていたかもしれない。再読してみようと思う。

座れない椅子

「私がせめて彼らに願うことは、ともかく実用品たれ、ということである。腰かけることのできるイス、物をつつめる一枚のフロシキをつくる方が、諸君の絵や彫刻よりもムダではない。」と坂口安吾が書いていた。シュルレアリスム批判のエッセイだ。
岡本太郎が「座れない椅子」を作り続けた理由が今分かった。

radio sculpture

ラジオはテレビ的なものでは無いと言うのはマクルーハンの時代からの定説ではあるが、それは彫刻的なものではないか。まだ上手く説明できないが、セザンヌとヨーゼフ・ボイスは分かってくれると思う。

Debian “wheezy” のチューニング

時間を見つけては、Debian “wheezy” を試している。
ディスクトップOSとしても使いやすいものになっている感じがする。
ある程度のコツは必要のようだが、チューニングは順調に進んでいる。

■ネット接続
有線/無線とも接続される。

■フォント
フォントを追加したら、文字化けした。
(Takao、Umeフォント 他)
フォントキャッシュの更新が必要。
fc-cache -f -v
フォント表示が少し崩れていたので、以下を実行
ln -s /etc/fonts/conf.avail/10-unhinted.conf /etc/fonts/conf.d/

■プリンター
エプソンサイトからドライバをダウンロード/インストールで認識/印刷された。
http://download.ebz.epson.net/dsc/search/01/search/?OSC=LX
epson-inkjet-printer-escpr_1.3.0-1lsb3.2_amd64.deb

■外部モニタ
接続するだけで認識されたが、デュアルディスプレーにしようとすると、以下のエラー
“位置やサイズが許容範囲を超えました: 位置 (1280, 0)、サイズ (1920, 1080) / 許容範囲 (1920, 1920)”
xorg.confを作成/編集して、許容範囲を拡大した。
Virtual 3200 1920
を追加。

■ノンフリーFlashプラグイン・インストール
/etc/apt/sources.list に以下リポジトリを追加。
deb http://ftp.de.debian.org/debian wheezy main contrib
Synaptic パッケージマネージャーで“flashplugin-nonfree”をインストールした。

□参考サイト
新森からの雑記
さかな前線
凡人プログラマーの独り言
ラムダ算法書店
AMD64 マシン用 flashplugin-nonfree_3.2_amd64.deb のダウンロードページ

Debian

Screenshot_from_2013-12-16 00:13:5515年ほど前、パソコンを始めたの頃にFMVにインストールしようとして、どうしても上手くいかず、その後敬遠していたDebianをインストールしてみると(LaVie的な熱暴走の問題で数回失敗はあったものの)、Ubuntuと変わらない手軽さだった。いまやUbuntuやMint無しで、自由なデジタル・ライフを普通に享受出来るのかもしれない。デフォルトのブラウザはIceweasel、メーラーはIcedove。スティーブ・ジョブスのこだわりもリスペクトするが、リチャード・ストールマンイアン・マードックのこだわり方が自分の性に合っているようだ。