acer AOA105にDebian8をインストール

IMG_1761
4〜5年前にUbuntuを入れて、XPとデュアルブートで使っていたacerのネットブック AOA105。XPは動作が遅くなっていてサポートも切れたし、いまやUbuntuも重いので、Debian8をクリーンインストールした。8からインストール時のディスクトップ環境にCinnamonが選択できるようになっていたので使ってみることに。Debian8は問題なくインストール終了。

リポジトリにcontrib non-free、deb-multimediaを追加して、いつもの flash-plugin, llibdvdcss2 などを追加インストールする。

Audacityをインストールしたところ音が割れたり、フリーズしたりするので、Linux Issues – Audacity Wiki にある通り、env PULSE_LATENCY_MSEC=30 audacity で立ち上げると修正されていた。コマンド無しで起動できるよう /usr/share/applications/audacity.desktop の “Exec=” 項目を Exec=env PULSE_LATENCY_MSEC=30 audacity %F に編集した。

外部モニタを接続すると表示はされるが、動作がかなり遅く使えそうにない。調べてみるも情報が見つからない。Mateを追加インストールして、外部モニタを繋ぐと問題なく表示された。ごくたまにプロジェクタにつなぐ程度なので、そのときだけディスクトップ環境をMateに変更することにした。Cinnamonの情報もそのうち増えてくるだろう。

*いつからかバッテリーが使えなくなっていたが、BIOSに問題があって充電しなくなっていたらしい。acerのサポートページに記載してある通りにアップデートすると充電された。

SORA個展「つかまえちゃった」

DM0803_2-550x811入り口でポータブルカセットレコーダーを渡され、作家自身の声で録音された解説を聞きながら作品を観る。天才ハイスクール解散展でのパフォーマンス「ひのあたらない場所」の写真、男たちを震え上がらせた「カルテ」などの刺激的な作品の中に、プラスチックのコップに白い液体が入っている「ちょっとだけよ」という作品があった。その液体は「カルテ」的な精液ではなく牛乳だ。「SORA」が生まれ育った沖縄の牛乳パックは1リットルではなく946ml入りで、米国の占領が続いた影響で4分の1ガロンが一般的な飲料パックの容量となったらしい。コップに入っていたのは、本土と沖縄の差である54mlの牛乳だった。牛乳の入ったコップひとつで沖縄の現実をうつし出す「SORA」の力量の今後に期待。

会期は明日8月18日(火)21:00まで。会場は高円寺の素人の乱12号店「ナオナカムラ」。
詳細は http://naonakamura.blogspot.jp/2015/08/sora.html

悪夢十夜 第一夜

こんな夢を見た。
7月15日の早朝に警察に付きまとわれながら、友人数人と国会議事堂正門の前まで歩いて行き、国会議事堂を眺めながら、現政権が何をしたいか、その背後に控えるアメリカは日本をどう操りたいのかを、そしてそれをどう実現していくかを、連中の立場から考えてみた。今回の安保関連法が成立することを前提として、成立後すぐに自衛隊が中国や北朝鮮に対して、日本の国境を超えて軍事的に対立するような動きをすることは無いだろう。成立後、参議院の選挙が終わればすぐにでも動き始めようとしているのは、イスラム国に対する有志連合への支援=参加だろうと思う。全く自衛とは考えられない有志連合への参加は、世論の反対や自衛隊の大量退職を招くだろう。政権としてはそれにどう対応するか。反対に対しては、運動が分裂・対立するように煽り仕掛け、自衛隊員不足に対しては、より所得格差を拡大し経済的徴兵制を進行させるだろう。まだ二十歳代と思われる警官に戦争ができる国になることをどう思うか聞いてみた。「これからどうなっていくのか自分も不安だ」と言っていた。懐柔策として用意された言葉かと疑ってみたが、これからの人生をそういった動きに、否応なく巻き込まれて生きていく事になるのだから、率直な思いだったのだろうと思う。非暴力な抗議行動に対して逮捕とかしたらダメだよと伝えた。その若い警官は困った顔をしていた。
「戦前はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

ゲゼル・ハイエク・ビットコイン

国家が強制通用力をもった紙幣を発行するとき、国家の介入は紙を金に変質させる「魔術」にたとえられている。これは見せかけもしくは幻影なので、このとき国家は「今やその[金に刻印を押し、紙幣を印刷する]」刻印の魔術によって、紙を金に変貌居させるように〈見える〉」。この魔術はつねに幽霊のかたわらで立ち働き、幽霊たちと取り引をし、あるいは自分自身を操ったり取り引きしたりし、それはビジネス、すなわち強迫観念=憑在のエレメントそのもののなかでみずからおこなうビジネスとなる。
『マルクスの亡霊たち』ジャック・デリダ p.111

計画経済と市場主義。経済に国家が介入しなくなったとき、銀行から貨幣が消えるとき、利子が無くなるとき、自然淘汰的でない、オートポイエーシスな、エコロジカルな経済は生まれるのだろうか。シルビオ・ゲゼルから始まる自由貨幣、新自由主義の代表的論者であるハイエクが提唱していた「貨幣発行自由化論」を超えて、ここにきてビットコイン(暗号通貨)という形で自主貨幣がグローバルな流通を始めている。身元不明のサトシ・ナカモトが開発したビットコイン。世界に散在するコンピューターのネットワークによる銀行業務(採掘)とその報酬としてのビットコイン。約2100万枚で発行が終了するとのこと。仮想的なゴールドラッシュ。ビットフロンティア。競争原理。金塊の持つ重さと、電子の質量。数学と真理。全ての資源を採掘した時に、そしてオープンソースであるビットコインの派生通貨が次々と現れてくる資源の無限性。交換価値。ロビンソンとフライデー。シカゴボーイズ。

lovin_nanaさんのライブ

今回の安保法案、安倍政権の戦争法は沖縄の新基地建設の具体性を根拠にしていることは間違いがないだろう。沖縄の基地建設を中止させることは、戦争法案、そして憲法改悪への流れを堰き止めることにもなるはずだ。ぺるしゃむ(なな)さんのTwitCastingはその希望を運んでくれるものだった。毎朝「沖縄平和市民の歌」から始まる抵抗の真実。現状の解説はもちろん、機動隊による排除に対する、ななさんの表現が素晴らしい。「足上げすぎ」「おっぱいも痛い」「イエローって言われてるよ」「理屈じゃないよ簡単なことだよ」「ホントは歌えるでしょう」「やっぱりなかよくはなれない」「中隊長、口パクでいいから謝って」などの珠玉の言葉。たまに写り込む、ゲート向かいのテントに張られたA3BC連帯バナーが嬉しい。沖縄を(沖縄に)返せ!

沖縄平和市民の歌

座り込めここへここへ座り込め
腕組んでここへここへ座り込め
揺さぶられ潰された隊列を立て直す
ときは今
腕組んでここへここへ座り込め

座り込めここへここへ座り込め
歌うたいここへここへ座り込め
揺さぶられ潰された団結を立て直す
ときは今
歌うたいここへここへ座り込め

座り込めここへここへ座り込め
旗掲げここへここへ座り込め
引きずられ倒れても進むべき道を行く
ときは今
旗掲げここへここへ座り込め

国防芸術と政策芸術

mizue戦前、昭和十六年一月号の美術雑誌「みずゑ」に『国防国家と美術(座談会)――画家はなにをすべきか』という座談会の記事が掲載され、その後、芸術家や芸術団体への弾圧が始まった。

昨日、2015年6月25日に自民党議員が開いた「文化芸術懇話会」で全くといっていいほど同じ思考回路で『政策芸術』というものの本質が語られた。これが現在の政権与党の自民党の開く勉強会だというのが空恐ろしい。これからのひとつの方針、方向性を示しているのだから。

今回はマスメディアに対しての規制進言であって、まだマスメディアには社会的な発言力が残されていて、政府・与党もしぶしぶ謝罪したようだが、矛先が芸術家や芸術団体、芸術学校に向いたとき、アートは再び死を迎えることになるかもしれない。

チームワレラ個展「農民芸術一揆!prototype2015~宮沢賢治【農民芸術概論綱要】と共に~」

unnamed東京高円寺にある素人の乱12号店「ナオナカムラ」で、明日6月23日まで開催している、チームワレラ個展「農民芸術一揆!prototype2015~宮沢賢治【農民芸術概論綱要】と共に~」。築50年あまりの、以前はオルタナティブな学校としても使われていた「フデノビル」、その2階の一室にある素人の乱12号店が「ナオナカムラ」によって農家の納屋と化していた。

チームワレラは岐阜の美濃市にある円形にデザインされた農園で、元シルク・ドゥ・ソレイユダンサーのやまだしげきをはじめ、自然農法の実践を行う仲間とともに結成されたアートコレクティブだ。宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」を活動の柱として作品制作も行う。

美濃国郡上藩での郡上一揆で用いられた「傘連判状」形式で美濃和紙に署名、血判した作品を「農民芸術概論綱要」を記した何枚もの黒い板が取り囲む。近所の人が描いた油絵や語る声が、カセットテープに録音された田んぼのカエルの鳴き声と重なる。まるで羅須地人協会が東京の片隅に現れたよう。

この幻の私塾も明日消える。
「創作止めば彼はふたたび土に起つ」

前回「天才ハイスクール!!!!展覧会「Genbutsu Over Dose」」出品作のその後も。
ぜひ立ち寄って時空を超えてみることをおススメします。

エートスと資本主義の精神

一時期大騒ぎとなったエートス・プロジェクト。最近はエートスという単語さえ目にしなくなってしまったが、すでに「社会的心理」となってしまっているのだろうか。

マックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、資本主義の精神として語ったエートス。訳者解説の中で大塚久雄氏は、このエートスについて以下のように述べている。

「エートス」は単なる規範としての倫理ではない。宗教的倫理であれ、あるいは単なる世俗的な伝統主義の倫理であれ、そうした倫理的綱領とか倫理的徳目とかいう倫理規定ではなくて、そういうものが歴史の流れのなかでいつしか人間の血となり肉となってしまった、いわば社会の倫理的雰囲気とでもいうべきものなのです。そうした場合、その担い手である個々人は、なにかのことがらに出会うと条件反射的にすぐにその命じる方向に向かって行動する。つまり、そのようになってしまったいわば社会的心理でもあるのです。主観的な倫理とはもちろん無関係ではないけれども、もう客観的な社会心理となってしまっている。そういうものが「エートス」だ、と考えて良いのではないかと思います。

「禁欲的信仰」と「資本的営利主義」これら相反するものを結びつけるのが「エートス=資本主義の精神=社会の倫理的雰囲気」ならば、フクシマに置き換えれば、「放射能汚染された土地」と「健康な生活」というものを結びつける「社会の倫理的雰囲気」を作り出すことを目的としたものが「エートス・プロジェクト」であって、それは「資本主義の精神」にも直結していることになる。また、安保法案は「平和」と「戦争」を結びつけるエートスだとも言えるだろう。政府は妄言を吐いてエートスを作り出そうとする。被曝し戦火にさらされる、健康で平和な「いつもの場所=エートス」を。

禁欲的に金儲けをする、健康的に被曝する、平和な戦争をするといった矛盾に対して無批判でいること。倫理ではなく倫理的雰囲気に従うこと。それがエートスがもたらすものなのかもしれない。わたしたちはこれら「社会の倫理的雰囲気」によって、条件反射的に動かされないように、十分に気をつけなければならないだろう。

生きた貨幣とヒップホップ

ザ・ブリティッシュ・インヴェイジョンよりもヒップホップの方が革新的だという研究発表があったらしい。その通りだと思う。研究はヒットチャート登場以降の分析のようだが、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJ、パーティといった総合的な表現の革新は、他に類を見ないものだろう。

先日、大きな地震があった日に、アンスティチュ・フランセで開かれていた「生きた貨幣」というイベントに行った。ロベール・ブレッソン『ラルジャン』の上映から始まったので、その後のトークや鼎談は映画批評みたいな感じになってしまっていた。「貨幣」についてのリサーチのつもりで行った自分にはいまひとつだったが、鼎談終了後に屋外ステージで行われていた「東京ELECTROCK STAIRS」のダンスはちゃんと「生きた貨幣」をテーマにしていたようで良かった。初めて知ったのだが、ヒップホップをベースにしたダンスグループらしい。「無形の欲動が波立ち騒ぐ身体(兼子正勝)」というものが表現されていたように思えた。それはヒップホップの経験無しでは表現出来ないものだろう。ブレイクダンスは「流れとしてのリビドー」なのかもしれない。

地震がやってきて途中で席を立った。彼らは知ってかしらでか、ダンスを続けていた。

リトグラフ用インクで木版を布に摺る

IMG_1605

A3BCで制作した「沖縄米軍基地建設反対運動連帯木版バナー」はいつものサクラの版画用油性インクではなく、版画用品店にあるリトグラフ用のインクを使った。以前、このインクで試してみたときはサクラのインクに比べて乾くのが遅い気がしたので、ドライヤー(インク乾燥促進剤)を混ぜて摺ったのだが、量が少なかったのか、乾きが遅い。入れる量は2~3%のはずだ。あと、インクの硬さ。リトグラフをやっていたときはワニスでユルめた記憶はなく、とにかく練って固さを調整していたが、それでも硬かったようで、ローラームラではないムラが出たり、インクがはがれ易い感じだ。沖縄に送るため、もう一度木版バナーを摺るということで、それに向けて小さな版で試してみた。ワニスを混ぜてサクラのインク(チューブ入り)程度までユルくして、ドライヤーを多めに(5%程度)入れてみる。リトグラフ用インクの方が匂いが仄かだ。

IMG_1606

端切れが無かったので、白いTシャツに『トマトの日』を摺った。今年の夏は空襲の、原爆の悲しみを背負って生きよう。