谷中安規の夢 - シネマとカフェと怪奇のまぼろし –

阿佐ヶ谷にコンコ堂という趣味に合う本を置いている古本屋がある。そこで見つけた『谷中安規の夢』
6千円台と自分にとっては高かったが、400点ほどもある作品図像はお金には代えられないと購入した。
コーヒーとニンニクを食い、空襲の焼け跡に建てた掘立小屋で餓死という、版画家貧乏伝説とはかけ離れた作品の数々。
昭和21年に49歳で安規が餓死ぜざるを得なかったのは、版画のせいではなく、やはり戦争のせいなのだ。

青の穏やかな輝きは魂の輝き

ゲーテ → シュタイナー → ボイス の流れが面白くて、その芸術論を援用して作品を作っていた時期がある。特にニュートンの”死んだ”色彩論に対抗する、ゲーテ~シュタイナーの”生きた”色彩論に影響され、その頃は青い絵ばかり描いていた。ただ、青の諧調で描くことはなかなか難しくて結局、納得できるものを完成させることはなかった。青の輝きは永遠であって、縛りつけようとする線や形を消し去ろうとする。

2000年頃、宮沢賢治の詩に銅版画をつけて詩画集を作ろうとしたことがある。わがままなのか、挿絵的なものも結局うまく作れなかった。探し物をしていた時にその銅版画を見つけて、計画倒れの絵だったと再認識するとともに、何かに感じが似ていると思った。第一原発から流れる放射性物質の拡散シミュレーター画像だ。

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風の偏倚

風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗ったばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜や
  (虚空は古めかしい月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほって巨大な過去になる
五日の月はさらに小さく副生し
意識のやうに移って行くちぎれた蛋白彩の雲
月の尖端をかすめて過ぎれば
そのまん中の厚いところは黒いのです
(風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある)
きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ斷雲と
星雲のやうにうごかない天盤附屬の氷片の雲
  (それはつめたい虹をあげ)
いま硅酸の雲の大部が行き過ぎやうとするために
みちはなんべんもくらくなり
  (月あかりがこんなにみちにふると
   まへにはよく硫黄のにほひがのぼったのだが
   いまはその小さな硫黄の粒も
   風や酸素に溶かされてしまった)
じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で
月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる
  (山もはやしもけふはひじやうに峻儼だ)
どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく
ひるまのはげしくすさまじい雨が
微塵からなにからすっかりとってしまったのだ
月の彎曲の内側から
白いあやしい気体が噴かれ
そのために却って一きれの雲がとかされて
  (杉の列はみんな黒眞珠の保護色)
そらそら、B氏のやったあの虹の交錯や顫ひと
苹果の未熟なハロウとが
あやしく天を覆ひだす
杉の列には山鳥がいっぱいに潜み
ペガススのあたりに立ってゐた
いま雲は一せいに散兵をしき
極めて堅實にすすんで行く
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一萬の硅化流紋凝灰岩の弾塊があり
川尻斷層のときから息を殺してまってゐて
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる
空気の透明度は水よりも強く
松倉山から生えた木は
敬虔に天に祈ってゐる
辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ
  (どうしてどうして松倉山の木は
   ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
  あのごとごといふのがみんなそれだ)
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを越える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊
いまくらくなり電車の單線ばかりまっすぐにのび
 レールとみちの粘土の可塑性
月はこの變厄のあひだ不思議な黄いろになってゐる

宮沢賢治 「春と修羅」より

あの安心感は決して好景気がもたらしたものではない

「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」第8回を見ていて、80年代の空気、少なくとも悪い方向に逆行することはないという、社会のあの安心感は決して好景気がもたらしたものではないということを再確認する。湾岸戦争によってすべては水泡と帰したのかもしれないが、いまだ現代社会にとって軍縮、そして戦争放棄こそが幸福の源なのだ。

なぜか the brilliant green の曲が頭に浮かんだので、はり付けて置く

悪夢十夜 第一夜

こんな夢を見た。
7月15日の早朝に警察に付きまとわれながら、友人数人と国会議事堂正門の前まで歩いて行き、国会議事堂を眺めながら、現政権が何をしたいか、その背後に控えるアメリカは日本をどう操りたいのかを、そしてそれをどう実現していくかを、連中の立場から考えてみた。今回の安保関連法が成立することを前提として、成立後すぐに自衛隊が中国や北朝鮮に対して、日本の国境を超えて軍事的に対立するような動きをすることは無いだろう。成立後、参議院の選挙が終わればすぐにでも動き始めようとしているのは、イスラム国に対する有志連合への支援=参加だろうと思う。全く自衛とは考えられない有志連合への参加は、世論の反対や自衛隊の大量退職を招くだろう。政権としてはそれにどう対応するか。反対に対しては、運動が分裂・対立するように煽り仕掛け、自衛隊員不足に対しては、より所得格差を拡大し経済的徴兵制を進行させるだろう。まだ二十歳代と思われる警官に戦争ができる国になることをどう思うか聞いてみた。「これからどうなっていくのか自分も不安だ」と言っていた。懐柔策として用意された言葉かと疑ってみたが、これからの人生をそういった動きに、否応なく巻き込まれて生きていく事になるのだから、率直な思いだったのだろうと思う。非暴力な抗議行動に対して逮捕とかしたらダメだよと伝えた。その若い警官は困った顔をしていた。
「戦前はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

生きた貨幣とヒップホップ

ザ・ブリティッシュ・インヴェイジョンよりもヒップホップの方が革新的だという研究発表があったらしい。その通りだと思う。研究はヒットチャート登場以降の分析のようだが、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJ、パーティといった総合的な表現の革新は、他に類を見ないものだろう。

先日、大きな地震があった日に、アンスティチュ・フランセで開かれていた「生きた貨幣」というイベントに行った。ロベール・ブレッソン『ラルジャン』の上映から始まったので、その後のトークや鼎談は映画批評みたいな感じになってしまっていた。「貨幣」についてのリサーチのつもりで行った自分にはいまひとつだったが、鼎談終了後に屋外ステージで行われていた「東京ELECTROCK STAIRS」のダンスはちゃんと「生きた貨幣」をテーマにしていたようで良かった。初めて知ったのだが、ヒップホップをベースにしたダンスグループらしい。「無形の欲動が波立ち騒ぐ身体(兼子正勝)」というものが表現されていたように思えた。それはヒップホップの経験無しでは表現出来ないものだろう。ブレイクダンスは「流れとしてのリビドー」なのかもしれない。

地震がやってきて途中で席を立った。彼らは知ってかしらでか、ダンスを続けていた。

ナオナカムラは永久に不滅です!

gob天才ハイスクール解散展『Genbutsu Over Dose』。そのカオスから生まれるエネルギーを感じながら、頭に浮かぶ言葉は「ノー・フューチャー」だ。解散展なのだから、そのイメージは正しいとも言える。作品は作家自身の業の深さを探ることによって、人間の闇に焦点をあて表現したものが多かったと思う。

この展覧会について語る言葉を持たないが、あえてこう言いたい。

「天才ハイスクールは引退いたしますが、我がナオナカムラは永久に不滅です!」

展覧会は2015年4月21日火曜日まで、必見です!

「ノー・フューチャー」。パンク文化はこう宣言した。それと同時に、ボローニャやローマの創造的な蜂起行動はこう宣言した。「未来なんてありゃしない」。ぼくたちは依然としてそこにいる。戦争によって、意識や生存に適した生への希望が破壊されているあいだは、ぼくたちは依然としてそこにいる。依然として、77年運動の敗北がぼくたちを置き去りにした、その地点にいるのだ。
「ノー・フューチャー」は、当時と同じように、もっとも先鋭的で、もっとも真実を語っている状況分析のままでありつづけている。
そして、絶望がもっとも人間的な情感のままでありつづけている。

NO FUTRE ノー・フューチャー ―イタリア・アウトノミア運動史
フランコ・ベラルティ(ビフォ) 2010年 洛北出版

本間健一『60年代新宿アナザー・ストーリー タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート』

playmap70年代末の松山にもまだジャズ喫茶は数件あった。いつもすいていたので、最盛期はもう終わっていたのだろう。数回通っただけで、常連になることもなかった。違った世界が都市にはあると、音楽の情報誌に記されているような、輸入レコードのジャケットのような匂いを求めて東京に来たのだと思う。1980年に上京してすぐに噂の「DIG/DUG」にも行ってみたが、求めていたような泥臭さは感じなかった。その頃は下戸でアルコールは苦手、金もない。時代はディスコ、テレビゲーム、ルービックキューブ、極めつけはウォークマン。演劇好きな年上の彼女に連れられ通う、紀伊国屋ホールのつかこうへい、花園神社の赤テント、丸井のDCブランドバーゲンと画材を買う、その頃はドンキーホーテの圧縮陳列のようだった世界堂が、新宿のイメージになってしまった。その後、国分寺で対抗文化の残滓を少し味わうことになるのだが、それもバブル経済によって、きれいに拭い去られてしまった。さほど意識はしていなかったが、この渇きを求めてこれまで生きてきたのだと思う。この本には、まさに自分が求めていた時代の匂い、60年末から70年初頭の新宿が描かれていて、“追憶に欲情をかきまぜたり. 春の雨で鈍重な草根をふるい起こ”すように読みました。もうすぐ春ですね、ちょっと気取ってみませんか。

3月27日(木)に高円寺素人の乱12号店で、地下大学 「新宿文化戦争」戦後秘話──「雑誌を街にした男」に話を聞こう。▶出版イベント:本間健彦『60年代新宿アナザーストーリー タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールドノート』が開かれます。

雪の下の蟹

今回の大雪は懐かしい感じがした。生まれ育ったのは四国松山で雪が積もることは殆ど無い。記憶を辿ると、古井由吉「雪の下の蟹」を読んだ時の感覚だと思い当たる。好きな小説だったと思うが、主人公の男が雪に閉ざされた金沢で、毎日雪かきをしているという事以外思い出せない。安倍公房の「砂の女」に似てたような気もするが、違っていたかもしれない。再読してみようと思う。

さようならネグリさん

negri今回アントニオ・ネグリ氏が来日した予定が、国際文化会館での講演、姜尚中氏との対談で終了した。
2008年に予定されていたイベントには、在野のボランティアとしてではあるが、木幡和枝さんの指導のもと、深くコミットしていた。
残念ながら来日は中止となったが、主催者側に居た人間として、なんらかの責任感を感じていたのだろう。その後も、G8対抗国際フォーラムのボランティア、毛利嘉孝さんと始めたフリーメディア・リサーチラボ、平井玄さんの地下大学、原発やめろデモ!!!!!! 以降の素人の乱などで、マルチチュードのようなものであろうと努めてきた。マルチチュードであることを求めるとは、なんと不幸なことだろうと、今は思う。
とにかく、アントニオ・ネグリ氏は来日を果たし、二つの講演を関係者席で聴講した。そして僕は肩の荷を降ろした。

閑話休題

バブル後に顕著となったナショナリズムが、今回の衆院選での自民党圧勝、安倍政権発足、日本維新の会の大躍進をめぐって、さらに拡大しているように見え、巷では日本の戦前回帰が始まったとの噂も流れていますから、終わったものとしてしか捉えていなかった時代を再考してみようと、大杉栄あたりの資料を読んだりしています。

率直な感想として、戦前の日本はかなりの野蛮国家であったことは、誰の目にも明らかだろうと思います。視点を変えれば、おおらかな時代だったとも言えるのですが、多分、この時代に戻ることは、わたしたちのような在野の人々よりも、権力側の方々にとって、より敷居が高いことでしょう。

閑話休題

有島武郎はなぜかこれまで読んだことがなくて、戦前再考の過程で目にしましたが、「農民文化といふこと」これこそがフリー(自由/無料)ということだろうと思いました。しかし有島武郎が悩んだように、パブリックドメインのパラドックスをどう乗り越えるかが、やはり最大の課題となります。