何もなくても版画はできる

正しい技法というものはない

少なくとも凸版形式の版画においては、その正しいつくり方などということを考えてみるのは、まず無意味なことである。
これは単にその外様性からのみいうのではなく、限られた個々の版種においても、その正しい技法などというものが、決して一つのルールとして決められる筈がないということである。凹版、平版の中には、いかんともしがたい化学的法則のあずかるプロセスもあって、たしかに薬品の使い方などある意味では正しい技法というものも必要ということになろう。しかし、それすらもある一つのプロセスを正しい技法の唯一の存在として理解するより、技術というものは実はその人の側にのみその時々に存在し、まったくそれは自由なものであるという理解のほうがはるかに重要なことではないだろうか。

技法は本来単純なものである

――しかしながら、現実に見る版画技術というものはひどく複雑な様相を呈している。
たとえば、日本の木版系の専門作家の中から適当に十人をとりだしてみよう。それがすぐれた作家であればそこにはすくなくとも十の異なったプロセスがある。それぞれにまったく自分勝手なものであるのに、人は驚くであろう。

これは、それぞれの作家が、個々の表現にもっとも適した効果を。自分なりにもっともたやすい手法によって求め、かつ多くの場合みずからそれを見出すということによって制作しているのが実状だからであろう。その一つがかなり面倒な手順を経るものであったとしても、それがみずから求めたものというところから、その意味するところはきわめて単純なものである筈だ。一見めちゃくちゃに見えても。それはその人にとって実に明快な意味をもった技法なのである。
それが、伝統的な木版画技術によったいわば古風なものであっても、みずからの肉体に墨を塗って紙面に押しあてたり、路上に拡げてマンホールの蓋を摺り取るといった新奇なものでも何でもかまわない。要するに、版画においても絵画としての表現がまず存在するのであって、それに版というものの効果と機能がプラスされること。そしてその表現内容と表現効果がもっとも単純にストレートに結びつくとき、そこに単なるプロセスとしてでなく、本来の技法というものの存在があるといってもよいのではなかろうか。

だから、正しい手法はない――ということはいいかえれば、技法とはまったく自由なものであり、その人その時に応じてすべてが正しい技法であり得るということ。技法は単純である――ということは、絵画としての版画技法はまたあらゆる可能性(プロセスとしては繁雑なものであってもいい)をもつべきものであるということなのである。
何もなくても版画はできる――ということも、したがって何をつかって、何をどうやっても(特別な用具材料がなくても)版形式の絵画的表現ができるということなのである。

『版画の技法』 凸版による技法 吉田穂高 美術出版社 昭和39年

宮沢賢治とアナキズム

アナキズムの美学 破壊と構築:絶えざる美の奔流」を読む。アナキズムに関する本はほとんど読んだことがなかったが、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」とほぼ同じことが書いてあった。上田哲やマロリ・フロムによると、室伏高信の著作から賢治は多くのアイデアを得ている。室伏高信はトルストイ、オスカー・ワイルド、ウィリアム・モリスなど、「アナキズムの美学」で取り上げられているものと同じ思想も引用して「文明の没落」や「土に還る」を著しているようだ。少なくとも美に関して宮沢賢治はアナキストだったのだと思う。

DIYパンク版画コレクティブと革命的版画ワークショップ

2014年4月3日(木)午後7時から、新宿にあるインフォショップ「IRREGULAR RHYTHM ASYLUM」で行われた『アドバスターズ』のクリエイティヴ・ディレクター「ペドロ・イノウエ」さんのトークイベントの後、打ち上げの格安中華料理屋でIRREGULAR RHYTHM ASYLUMの成田さんから、マレーシアの版画アーティスト集団の活動が面白いと聞く。現地に赴いたRisaさんの探訪紀を読むと、なるほど面白い。その作品は、日本における戦後プロレタリア美術運動の下部構造としてのサークル運動的な民衆版画ではなく、パンクロックのDIY精神を引き継ぎながら、土着の文化とも繋がりを持ち続ける作品だ。都市ではなく、田舎町を拠点にしているそのDIY版画アーティスト集団の名前は、パンクロック・スゥラップ(Pangrok Sulap)。各地でワークショップを開きながら、DIY精神を伝えているようです。Facebookページに掲載されている写真やビデオを見ると、絵として紙に刷るだけではなく、布やTシャツ、ノートの表紙などにも刷っている。また、その刷り方に特徴があり、バレンやプレス機で刷るのではなく、版木や紙の上に直接乗っかって、足踏みしたり、時にはダンスしながら刷っています。これぞDIYパンク! そこで、東京でも版画ワークショップをやることにしました。

2014年5月4日『革命的版画ワークショップ』

workshop民衆の、民衆のための、民衆による版画運動の復興。かつて日本でも興隆していた民衆版画運動、そこにはプロパガンダ以上のものがあったはずです。ヒューマニズム、コミュニティー、ネットワーク。そして、美術と政治の蜜月。

なぜ木版画なのか。民衆が芸術を創りだすこと。その道を用意してくれるのが版画、特に、義務教育で幾度となく制作している、どんな人にも身近な木版画です。誰もが知っているベニア板やゴム/リノリウム板に、誰もが知っている彫刻刀で版を作ります。

なぜ版画なのか。水彩画や油彩画といった、いわゆる絵画との違いは、「刷り」という工程にあります。その工程を経ることによって、作品は作者本人から切り離され、ひとつの芸術作品として自律することでしょう。

また、転写版画は、版を作っている間にその完成を知ることは出来ません。常にその作品を、裏側から、または裏側を見ながら制作することになります。物事の見方、感じ方が変化するだけで、世界は違って見えるはずです。それを自分の体験とすること。そして、そこから世界を形作っていく事。これこそが「革命」なのです。

日時:2014年5月4日午後3時〜
場所:IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
新宿区新宿1-30-12-302|03-3352-6916|irregular.sanpal.co.jp
参加費:無料
お題:参加者みんなでIRREGULAR RHYTHM ASYLUMのポスターを作ります。
制作サポート:上岡誠二(artNOMAD)
※手ぶらで大丈夫ですが、愛用の木版画道具などお持ちでしたら、持参してください。
※油性インクを使って刷ります。それほど汚れることはありませんが、汚れても大丈夫な格好、または実験で使用するような割烹着、エプロンをお持ちください。また、石油系の匂いが苦手な方はマスクをご用意ください。

山頭火を生きる:三月廿六日

歩いて兵庫へ、めいろ居へ。
神戸は国際都市であることに間違はなかつた。
ビルデイングにビルデイング、電車に自動車、東洋人に西洋人、ブルヂヨアにプロレタリヤ。……
めいろ居はめいろ君のやうに、めいろ君が営んでゐた、意外だつたのは、ピヤノのあつたこと。――
わざ/\出迎へて下さつたのに、出迎への甲斐がなくて、めいろ君にも詩外楼にもすまなかつた、それもかへつて悪くなかつたが。
 ぽつかり島が、島も春風
 島はいたゞきまで菜ばたけ麦ばたけ
・ここが船長室で、シクラメンの赤いの白いの(三原丸)

山頭火を生きる:三月廿五日

早く起きる、八時の汽船に乗り込まなければならない。
こゝでも黙壺君の友情以上のものが身心にしみる、私は私がそれに値しないことを痛感する。……
宇品から三原丸に乗る、海港風景、別離情調、旅情を覚える。
法衣姿の私、隣席にスマートな若い洋装の娘さん、――時代の距離いくばくぞ。

三原丸船中、――
天気予報を裏切つて珍らしい凪、
ラヂオもある、ゆつたりとして、
人間は所詮、食べることゝ寝ることゝの動物か、
高等学校の学生さんと漫談、
瀬戸内海はおだやか、
甲板は大衆的に、
兎の子を持つて乗つた男女
島から島へ、酒から酒へ!
船中所見、――
港について売子の売声、
インチキ賭博、
上陸して乗りおくれた人、
修学旅行の中学生、私も追憶の感慨にふける、
春風の甲板を遊歩する、
団参連中のうるさいことは、
船から陸へ、水から土へ、
四時神戸上陸、待合室で六時半まで。
自動車、自動車、自動車がうづまいてゐました。

・兵営、柳が柳へ芽ぶいてゐる
・旅も何となくさびしい花の咲いてゐる
 しつとりと降りだして春雨らしい旅で
 お寺の銀杏も芽ぐんでしんかん
・そここゝ播いて食べるほどはある菜葉
・水に影あれば春めいて
・春寒い朝の水をわたる
・船窓(マド)から二つ、をとことをなごの顔である
 なんぼでも荷物のみこむやうらゝかな船
 島にも家が墓が見える春風
 銭と銭入と貰つて春風の旅から旅へ(黙壺君に)

山頭火を生きる:三月廿四日

おこされるまで睡つてゐた、夢は旅のそれだつた。
春雨、もう旅愁を覚える、どこへいつてもさびしいおもひは消えない。……
澄太君が描いてくれた旅のコースは原稿紙で七枚、それを見てゐると、前途千里のおもひにうたれる、よろしい、歩きたいだけ歩けるだけ歩かう。
青天平歩人――清水さんの詩の一句である。
しぜんに心がしづみこむ、捨てろ、捨てろ、捨てきらないからだ。
放下着――何と意味の深い言葉だらう。
澄太君の友情、いや友情といつてはいひつくせない友情以上のものが身心にしみる。……

夕方から、澄太君夫妻と共に黙壺居の客となる、みんないつしよに支那料理をよばれる、うまかつた、鶩の丸煮、鯉の丸煮、等、等、等(わざ/\支那料理人をよんで、家族一同食べたのは嬉しい)。
澄太居も黙壺居もあたゝかい、白船居も緑平居も、そして黎々火居も、星城子居も。……
私だけ泊る。
 春の波の照つたり曇つたりするこゝろ
・菜の花咲いた旅人として
 日ざしうらゝなどこかで大砲が鳴る(澄太居)
・枯草あたゝかうつもる話がなんぼでも

山頭火を生きる:三月廿三日

おくれて九時ちかくなつて宇品着、会社に黙壺君を訪ねる、不在、さらに局に澄太君を訪ね、澄太居に落ちつく、夫妻の温情を今更のやうに感じる。
樹明、白船、せい二、清恵、澄太、等、等、等、春風いつもしゆう/\だ、ぬくい/\うれしい/\だ。
夜は親しい集り、黙壺、後藤、池田、蓮田の諸君。
近来にない気持のよい酒だつた、ぐつすりと眠れた。

山頭火を生きる:三月廿二日 徳山から室積へ。

晴、朝早く駅へかけつけて出立。
物みなよかれ、人みな幸なれ。
八時から一時まで白船居、おちついてしんみりと別盃を酌んだ、身心にしみ入る酒だつた。
駅の芽柳を印象ふかく味はつた。
白船君の歯がほろりと抜けた、私の歯はすでに抜けてしまつてゐる。
汽車からバスで室積へ、五時から十時まで、大前さん水田さんと飲みながら話す。
十二時の汽船(商船愛媛丸)で宇品へ、春雨の海上の別離だ。
船中雑然、日本人鮮人、男女、老人子供、酒、菓子、果実、――私は寝るより外なかつた。
庵はこのまゝ萠えだした草にまかさう
そして私は出て行く、山を観るために、水を味ふために、自己の真実を俳句として打出するために。
・ふりかへる椿が赤い
其中庵よ、其中庵よ。
 わかれて春の夜の長い橋で
 木の実すつかり小鳥に食べられて木の芽
・こんやはこゝで涸れてゐる水