山頭火を生きる:三月廿六日

歩いて兵庫へ、めいろ居へ。
神戸は国際都市であることに間違はなかつた。
ビルデイングにビルデイング、電車に自動車、東洋人に西洋人、ブルヂヨアにプロレタリヤ。……
めいろ居はめいろ君のやうに、めいろ君が営んでゐた、意外だつたのは、ピヤノのあつたこと。――
わざ/\出迎へて下さつたのに、出迎への甲斐がなくて、めいろ君にも詩外楼にもすまなかつた、それもかへつて悪くなかつたが。
 ぽつかり島が、島も春風
 島はいたゞきまで菜ばたけ麦ばたけ
・ここが船長室で、シクラメンの赤いの白いの(三原丸)

山頭火を生きる:三月廿五日

早く起きる、八時の汽船に乗り込まなければならない。
こゝでも黙壺君の友情以上のものが身心にしみる、私は私がそれに値しないことを痛感する。……
宇品から三原丸に乗る、海港風景、別離情調、旅情を覚える。
法衣姿の私、隣席にスマートな若い洋装の娘さん、――時代の距離いくばくぞ。

三原丸船中、――
天気予報を裏切つて珍らしい凪、
ラヂオもある、ゆつたりとして、
人間は所詮、食べることゝ寝ることゝの動物か、
高等学校の学生さんと漫談、
瀬戸内海はおだやか、
甲板は大衆的に、
兎の子を持つて乗つた男女
島から島へ、酒から酒へ!
船中所見、――
港について売子の売声、
インチキ賭博、
上陸して乗りおくれた人、
修学旅行の中学生、私も追憶の感慨にふける、
春風の甲板を遊歩する、
団参連中のうるさいことは、
船から陸へ、水から土へ、
四時神戸上陸、待合室で六時半まで。
自動車、自動車、自動車がうづまいてゐました。

・兵営、柳が柳へ芽ぶいてゐる
・旅も何となくさびしい花の咲いてゐる
 しつとりと降りだして春雨らしい旅で
 お寺の銀杏も芽ぐんでしんかん
・そここゝ播いて食べるほどはある菜葉
・水に影あれば春めいて
・春寒い朝の水をわたる
・船窓(マド)から二つ、をとことをなごの顔である
 なんぼでも荷物のみこむやうらゝかな船
 島にも家が墓が見える春風
 銭と銭入と貰つて春風の旅から旅へ(黙壺君に)

山頭火を生きる:三月廿四日

おこされるまで睡つてゐた、夢は旅のそれだつた。
春雨、もう旅愁を覚える、どこへいつてもさびしいおもひは消えない。……
澄太君が描いてくれた旅のコースは原稿紙で七枚、それを見てゐると、前途千里のおもひにうたれる、よろしい、歩きたいだけ歩けるだけ歩かう。
青天平歩人――清水さんの詩の一句である。
しぜんに心がしづみこむ、捨てろ、捨てろ、捨てきらないからだ。
放下着――何と意味の深い言葉だらう。
澄太君の友情、いや友情といつてはいひつくせない友情以上のものが身心にしみる。……

夕方から、澄太君夫妻と共に黙壺居の客となる、みんないつしよに支那料理をよばれる、うまかつた、鶩の丸煮、鯉の丸煮、等、等、等(わざ/\支那料理人をよんで、家族一同食べたのは嬉しい)。
澄太居も黙壺居もあたゝかい、白船居も緑平居も、そして黎々火居も、星城子居も。……
私だけ泊る。
 春の波の照つたり曇つたりするこゝろ
・菜の花咲いた旅人として
 日ざしうらゝなどこかで大砲が鳴る(澄太居)
・枯草あたゝかうつもる話がなんぼでも

山頭火を生きる:三月廿三日

おくれて九時ちかくなつて宇品着、会社に黙壺君を訪ねる、不在、さらに局に澄太君を訪ね、澄太居に落ちつく、夫妻の温情を今更のやうに感じる。
樹明、白船、せい二、清恵、澄太、等、等、等、春風いつもしゆう/\だ、ぬくい/\うれしい/\だ。
夜は親しい集り、黙壺、後藤、池田、蓮田の諸君。
近来にない気持のよい酒だつた、ぐつすりと眠れた。

山頭火を生きる:三月廿二日 徳山から室積へ。

晴、朝早く駅へかけつけて出立。
物みなよかれ、人みな幸なれ。
八時から一時まで白船居、おちついてしんみりと別盃を酌んだ、身心にしみ入る酒だつた。
駅の芽柳を印象ふかく味はつた。
白船君の歯がほろりと抜けた、私の歯はすでに抜けてしまつてゐる。
汽車からバスで室積へ、五時から十時まで、大前さん水田さんと飲みながら話す。
十二時の汽船(商船愛媛丸)で宇品へ、春雨の海上の別離だ。
船中雑然、日本人鮮人、男女、老人子供、酒、菓子、果実、――私は寝るより外なかつた。
庵はこのまゝ萠えだした草にまかさう
そして私は出て行く、山を観るために、水を味ふために、自己の真実を俳句として打出するために。
・ふりかへる椿が赤い
其中庵よ、其中庵よ。
 わかれて春の夜の長い橋で
 木の実すつかり小鳥に食べられて木の芽
・こんやはこゝで涸れてゐる水

山頭火を生きる:三月廿一日 (東行記)

春季皇霊祭、お彼岸の中日、風ふく日。
樹明君から酒を寄越す、T子さんが下物を持つてくる、やがて樹明君もやつてくる。……
出立の因縁が熟し時節が到来した、私は出立しなければならない、いや、出立せずにはゐられなくなつたのだ。
酔歩まんさんとして出かける、岐陽君を訪ねる、酒、さらに呂竹さんを訪ねる、そしてFをSを訪ねて酒。
とう/\出立の時間が経過してしまつたので、庵に戻つて、さらに一夜の名残を惜しんだ。