黒耀会の経過

黒耀会の経過 望月桂 一般無産者階級の人達も近頃は大分目が覚めて、昨日の悪も今日の善と悟り、既に新機の方法で制作にとりかかっている。処が今までずっと手を替え品を替えて圧迫と誤魔化しとで馴らされ切って来たものだから、なかな […]

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民衆芸術運動(10)

1920年4月2日、3日の二日間、牛込築土の骨董屋同好会に於いて、黒耀会第一回展覧会が開催される。出品者36名、83点(百数十点との報道もある)の作品が、多くは画鋲、テープで所狭しと並べられた。「現在の芸術を打破して自主 […]

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民衆芸術運動(9)

「革命芸術研究会(茶話会)」は月一回の会合を開き、民衆芸術について懇談した。1919年12月5日の例会で、新たな発展に向かって、正式名称と会則を定め、『黒耀会』が誕生する。わずか一月後の1920年1月には、社会党の新年会 […]

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民衆芸術運動(8)

1918年の夏に富山の主婦たちが米価の高騰を止めさせるため、魚津港に集まり実力行使で阻止したことをきっかけに、全国規模の民衆暴動が起こった。大杉栄は大阪でその暴動を目の当たりにする。大杉にとって、革命の可能性を肌で感じら […]

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民衆芸術運動(7)

「へちま」閉店後、久板は以前からその必要性を感じていた、労働者街で労働者と共に生活することで運動を広げて行くために、売文社の和田久太郎と共に、日暮里の労働者街に移り住む。同時期に同じ考えから亀戸の貧民街の借家を借りた大杉 […]

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民衆芸術運動(6)

「へちま」において、望月に多くの社会主義者、無政府主義者を紹介したのは『労働青年』久板卯之助であった。 俺が久板君と知り合ったのは大正五年(一九一六)、神田猿楽町で簡易食堂「へちま」開店後間もなく夏場だから氷水屋をやって […]

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平民美術

平民美術  望月 桂 吾々人類は何辺に迄で向上せんとするか。最善最美なる幸福に迄でと答えん。然り、今日の文明を以て満足は出来ぬ。曰く矛盾多き社会、徹底せざる自己。此暗黒なる怪雲を一掃せざる間は到底、光風霽月の理想郷は求め […]

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民衆芸術運動(5)

神田で4ヶ月、谷中で10ヶ月ほど営業した簡易食堂「へちま」だったが、妻が過労で倒れることにより、望月は閉店の意を決める。一年あまりの営業であったが、安い飯、集える場所、そして印刷の技術を持つ芸術家の店主、「へちま」は当時 […]

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民衆芸術運動(4)

望月桂は東京美術学校卒業後に郷里長野県の野沢中学校に請われ、1910年5月に美術教師として赴任する。教師の仕事は一年間のみと決めていた。 赴任直後に大逆(幸徳)事件が起こる。望月の故郷である長野県明科の明科製材所で宮下太 […]

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民衆芸術運動(3)

大正5年、早稲田文学に本間久雄の「民衆芸術の意義及び価値」が発表される。ロマン・ロラン『民衆芸術論』、エレン・ケイ『更新的教養論』を参照しながら、民衆芸術を定義しようとした。民衆芸術とは「惨めさと醜さがあるばかりの民衆」 […]

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