民衆芸術運動(47)

若い男女が親しく受講しているのを見た村の人たちから、小学校で行うのは児童の教育上良くないとの批判があり、二回目の農民美術講習会は金井正の経営する養蚕業の蚕室で開かれた。部屋の広さが限られていたので、新規には受講生を募集し […]

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民衆芸術運動(46)

大正九(一九二〇)年、日本橋三越での第一回農民美術製作品展覧会を終えても、山本鼎は休むまもなく奔走した。六月には大阪朝日新聞社主催の「世界児童自由画展」で講演を行い、美術雑誌『みずゑ』に「農民美術建業の趣意及其経緯」を寄 […]

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民衆芸術運動(45)

文芸に親しみ、自ら詩歌や戯曲を書いていた田中智學は『佐渡』が新文芸協会によって上演され、出演者数名が国柱会の会員になったことをきっかけに、大正十一年、文芸、芸術を法華経的に開顕教正し文芸布教活動を行うとした「芸術の霊化」 […]

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民衆芸術運動(44)

ヨーロッパから帰国後出版した『油画の描き方』は版を重ね、出版から三年後の大正九(一九二〇)年頃でも読者からの手紙が届いていた。信州生まれの新進の画家小山敬三が『ロダンの言葉』に感動し渡仏したいとの相談の手紙に鼎はこう返事 […]

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民衆芸術運動(43)

日本橋三越の展示会には農商務省の石田書記官が来館し、ドイツの農民工芸などの本三冊を贈られたり、別荘のサロンの農民美術での装飾の依頼を受けたりする。一人の老偉丈夫が山本鼎に金一封の入った封筒を手渡した。その封筒には 一日も […]

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民衆芸術運動(42)

副業として農閑期を活用した一回目の農民美術練習所は大正九(一九二〇)年三月三一日に終業し、その成果を示すために、四月一一日、一二日の二日間、神川村で展覧会を行う。文部次官も来観し、村では各戸に国旗を掲げて歓迎している。 […]

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民衆芸術運動(41)

山本鼎と金井正は自由画運動を行いつつ、農民美術運動にも着手した。大正八(一九一九)年一一月一八日、練習生募集のため、山本、金井の連名で書かれた「日本農民美術建業の趣意書」を村内に配布し、翌日には農閑期の間練習所として使わ […]

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加藤一夫の民衆芸術論「民衆芸術の主張」

大正期に民衆芸術についてどのような議論が起こったかについて、よくわかるエッセイであるが、こんな風に真面目な議論のある新聞や雑誌は今あるのだろうか? 民衆芸術に関する考察  民衆は何処に在りや  民衆運動即自省更生  民衆 […]

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試論「藝術と地球環境」

「民衆芸術」について考えているのですが、以前(2003年頃)書いた試論「藝術と地球環境」を読み返してみました。データはきっとDVDかなにかにあるのですが、探すのが大変と、Internet Archiveで以前のサイトを確 […]

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