なぜ天皇の写真を燃やしてはならないのか

「表現の自由」は憲法とは全く関係がない。憲法や法律がどれだけそれを禁じようと、表現には自由がある。この牢獄のような社会において自由であることが表現なのだ。


憲法には仕組まれたものがある。条文の順番によってその価値が変わるのだ。第一章では「天皇」のことが述べられる。

第一章 天皇
〔天皇の地位と主権在民〕
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

表現の自由を担保している条文は第三章の「国民の権利及び義務」にあり、天皇のことより後の話だ。

第三章 国民の権利及び義務
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 
憲法をその根拠にする限り、理由やいきさつがどうあれ、天皇の写真を燃やし踏みつける表現をすることは、日本国民の反感を買ってしまう。それは国民全体=ひとりひとりの象徴であるからだ。憲法によると天皇の地位は「国民の総意」に基づいているとされる。天皇は「表現の自由」よりも優先順位が高く、天皇の写真を燃やす表現をすることは、日本国民であるそれぞれの「私」を汚す行為なのだ。よって、この国で「表現の自由」を訴える時に憲法を根拠にするのは間違いということになる。

 

憲法や法律を根拠にしないで「表現の自由」を訴えるにはどのようにすればよいか。

それには、その表現を芸術作品とする以外ない。芸術作品は自己言及で成立している。芸術を支えるのは、その作品自体しか無いのだから。