戦前の治安維持法を思い起こす特定秘密保護法が強行採決された日、抗議行動には参加せずLMDEをインストールした

Screenshot_from_2013-12-08 00:26:41LinuxもUbuntuが出てきてずいぶん敷居が下がった。
しかしCanonicalの方向性には新自由主義的なものがまとわりついているように思え、他のプロプラエタリなOSとの差異は無料であることだけのように感じていた。やはりLinuxはDebian GNUだと考えるが、これは少し敷居が高い。
サブサブくらいのネットブックにUbuntu「Hardy Heron」を入れてバージョンアップしながら使っていた程度で、おまけに原発震災のこともあり、しばらくLinuxの情報から離れていた。
メインはずっとMacOSを使っていたが、ジョブスも亡くなり、MacBook Proの液晶にはピンクの線がちらつきはじめた。持ち運び用に、最近もらったNEC LaVie PC-LN500RG6Wに12.04 LTS Precise Pangolinをインストールし、しばらく使っていたが、Canonicalのネオリベ感がさらに増して来たように思え、Freeの欠如を感じていたところ、Linux MintというUbuntu派生のディストリビューションが目にとまり、Ubuntuを消してインストールしてみると、Ubuntu同等かそれ以上に使いやすい。TPPやNSCに突き進む日本にあるミラーサーバが一度撤退したことも(2013年5月JAISTはNo codecs版のイメージに限って提供を再開)好感が持てる。Debian editionもあるとのことで、こちらを再インストールした。自分にとって一番のLinuxディストリビューションになりそうな予感がする。

・Linux Mint Debian http://www.linuxmint.com/download_lmde.php
・Debian GNU/Linux http://ja.wikipedia.org/wiki/Debian

著作権と自由の侵害

芸術はその発生から、現在に至るまで変わること無く、「自由の技術」でありつづけていますが、常に「反芸術」という状態も起こりますし、最近、特に状況は悪化しています。「反芸術」勢力が世の中に溢れてきているのです。

芸術が反芸術に堕落するその一番の原因は「(自然権として売り買いされる!)著作権」です。ワールドワイドウェブという自由の道具が現れ、その反動として、アートを囲い込み、利用して金儲けをする企業/団体による著作権の強化が行われています。これまで、芸術の創造者は「著作権」について、それがあまりに不当な金儲けに使われない限り、それほど気にしていませんでした。なぜなら、いくらでも新たに作品を制作することが出来るし、ひとつの作品を作り終えた後には、次の創造に向かうからです。作品に秘められた創造力が世界に広まったり、誰かの創造力を刺激するきっかけになれば、それで良いわけです。作品やその複製がたくさん売れて、必要以上の金儲けをすることなど、芸術にとってはどうでもいいような些細なことなのです。

「著作権」を非親告罪化しようとする反社会勢力/反芸術勢力が存在し、勢力を拡大しています。この自由の侵害に対して、「自由の技術」に関わる芸術家が立ち上がらなくてはいけません。それが出来なければ、自由と芸術は死に絶えてしまうでしょう。

アンテルナシオナル・シチュアシオニスト

この機関誌の編集規則は集団的編集である。個人によって書かれ、個人の署名のあるいくつかの記事も、われわれの同士全員に関係があり、その共同の探求の個別的側面と見なされなければならない。われわれは文学雑誌や美術雑誌のようなかたちで生き残ることには反対している。
『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』に発表されたすべてのテクストは、出展を明記しなくても、自由に転載、翻訳、翻案することができる。

編集委員 ムハマンド・ダフ、ジュゼッペ・ピノ=ガッリツィオ、モーリス・ヴィッカール

ローレンス・レッシグのリフレイン

<free-culture>
	<refrain>
		<ol>
			<li>創造とイノベーションは常に過去の上に築かれる</li>
			<li>過去は常にその上に創造されるものを支配しようとする。</li>
			<li>自由な社会はこの過去の力を制限することで未来を可能にする。</li>
			<li>われわれの社会は日々自由を失ってゆく。</li>
		</ol>
	</refrain>
</free-culture>