The Clinic Smiles

親知らずの最後の1本がぐらついてきたので、歯医者で抜いてもらった。奥歯も1本抜くことになった。もちろん麻酔を打ってもらいましたが、血だらけなのに全然痛くない、すごい威力です。後日、歯茎の中の歯石も取ることになって、麻酔を打たれ、笑顔の歯科衛生士に優しい言葉をかけられながら、歯茎の中をガリガリされる。痛くはないのですが、ずっと緊張が解けない状態が1時間ほど続きました。終わった後の敗北感がすごい。あと3~4回、同じ治療を受けなければなりません。歯科衛生士も大変な仕事だなと思いました。ふとジャスパー・ジョーンズの作品「The Critic Smiles」を思い出す。

Return to Forever

チック・コリアが亡くなった。1枚だけあったレコード「フレンズ」を聞く。ほんとに聞きやすいジャズアルバム。ジャケットもとってもかわいい。フレンズというタイトル通りに、チック・コリア、 ジョー・ファレル、エディ・ゴメス、スティーヴ・ガッドのカルテットの親密さが伝わってくる。レコードを買っのは1970年代末だと思うが、「サンバソング」のスティーヴ・ガッドのドラムにやられてしまった覚えがある。名盤「Return to Forever」は売ってしまったのかもう無かった。けれどもチック・コリアは永劫回帰するだろう。
フレンズ(1978)のライナーノーツを見ると、お手紙のあて先が記載してあった。今でも届くのだろうか。
Chick Corea P.O.Box 85220, Los Angeles, CA 90072, U.S.A.

イビザグラフィック

いいかげんな人生の中で失ったものも多い。20代前半に制作してイビザグラフィックという国際版画展に出品したリトグラフをもう一度みたいと思うのですが、すでに失われています。出品にあたって撮影した白黒のフィルムを見つけたのでスキャンして、ニューラルフィルターを使って色付けしてみました。全然違いますがそれでも色付けしようとするAIとは一体何なのだろうと思います。イビザに行く資金も無く、郵送で送ったのですが、イビザといえばピンクフロイドが音楽を担当した映画『MORE』の舞台。その頃はまだ映画も見たことはなくてピンクフロイドのアルバムジャケットや音楽のイメージでその島の風景を思い浮かべたものでした。

真実を見極めろ! ウイルスパニック

1918年に日本でもスペイン風邪が流行した。主婦が先導した米騒動も流行のただなかで起こっている。ロシアではボリシェヴィキ政権が誕生し、日本はシベリアに出兵する。現在の新型コロナウイルス感染症の流行、パンデミック下でのオリンピック強行の姿勢や、組織委会長の発言などに対する女性たちの「蜂起」と1918年は繋がっているのだと思う。

フリーライター兼編集者、粟生こずえさんのトークイベントを手伝った時に、その著書『3分間サバイバル』を頂きました。あかね書房から出ている、現代を切り抜ける推理とサバイバルを楽しむ、新感覚ショートショート、第三巻がもうすぐ発売されるシリーズ本です。二巻の『真実を見極めろ! ウイルスパニック』を読んだのですが、50話のショートショートの中に、細菌やウイルスの歴史と科学、感染予防の知識が詰め込まれていました。12月に発売されたばかりなので、COVID-19に関するものもあります。子ども(小学高学年)向けの本ですが、テレビのニュースやワイドショーを見るより、俯瞰的に感染症について考えることのできる構成になっていました。子どもにはもちろん、コロナの事が気になるけれど、ニュースやワイドショー、SNSに流れてくる情報に疲れてしまったオトナにもおすすめです!

ねじ釘の如く 画家・柳瀬正夢の軌跡

明治時代の松山には「朝敵」松山藩の無念が色濃く漂っていたのだと思う。その無念が正岡子規や秋山兄弟を生んだし、夏目漱石は明治の松山を題材に『坊ちゃん』を執筆した。柳瀬正夢(正六)は明治33年に松山で生まれた。

最近まで柳瀬正夢に特別な興味を持ったことはありませんでしたが、数年前から大正期の芸術運動に興味を持つ中、調べたいと思っていました。古本屋で見つけた展覧会の図録を数冊手に入れていましたが、絵を眺めるだけで解説はざっと目を通すだけでした。昨年亡くなったルポライターの井出孫六さんが1996年に出した『ねじ釘の如く 画家・柳瀬正夢の軌跡』という伝記があることを知り、昨年購入したものを今日やっと読むことが出来ました。柳瀬の「よもだ」ぶりは面白かったし、特高に拷問を受けていたことさえ知らなかったのです。読売新聞で望月桂と同僚の時期があったり、新居格たちと満蒙に視察に行ったり、魯迅が柳瀬の漫画を中国で広めていたり、いろいろなつながりを知って、大正時代の芸術運動の豊かさがさらに広がりました。

これまで柳瀬に興味を惹かれなかったのは何故だろうと考えると、MAVOと柳瀬がなぜか繋がらなかったり、左翼デザイナーだったり、そのスタイルがゆらぎ過ぎるからかもしれませんし、多分初めて見た「仮面」に何か恐ろしいものを感じて、なんとなく見ないようにしてきたからかもしれません。

小さなエピソードですが、伝記の中でとても気になったことがあります。死別した小夜子(梅子)の墓が松山にあるというのです。東京で暮らす柳瀬が、どうしてその妻の骨を松山に埋葬したのかがよく分からない。次回、帰郷した時に探してみたいと思います。

柳瀬の書いた『ゲオルゲ・グロッス 無産階級の画家』の著作権が切れていましたので、久し振りにタイプしはじめました。マルセル・モース『贈与論』を読み終えたら、自由芸術大学の読書会で扱ってみようと考えています。

Van Gogh Worldwide

昨年11月にVan Gogh Worldwideというサイトが公開されていた。現在、オランダにある全作品が登録されていて、将来的にはゴッホの全作品の掲載を目指しているようです。

image viewerだと解像度の高いものを見ることができます。作品保護のためとはいえ、最近の薄暗い美術館での展示を見るよりディティールがよく分かります。とはいえ、実物にかなうわけないのですが。

これまでもwikipediaなどに主要な作品が掲載されていましたが、これほどきれいな画像ではありませんでした。以前から計画があったのかもしれませんが、コロナ禍に後押しされたのだとも思います。

想像で描くことができなかったゴッホの「Couple Making Love」というドローイングがありました。春画を含めた浮世絵ファンだったゴッホが、そのような情景をモチーフに選ぶことにおかしなところは一つもありませんが、いろいろ気になります。

 

グレートコンジャクション

キーボードで「コンジャクション」と打つと「今昔しょん」と出てきてしまいます。占星術と今昔物語りは繋がっているのかもしれません。かつての政治は占星術だったという話を聞いたことがあるのですが、星の巡りに動かされているのが政治なのだと考えなければ、政治と共にある社会人はいつしか気がくるってしまうのではないでしょうか。月の引力が目に見える形で海や女性に影響するように、気づかないところで星の巡りの影響はあるのだと思います。歴史なんてそういうものだという自分もいますが、それでいいのか?という自分もいます。ということで、とどのつまりは関係ないと思いながらも「風」の時代になるというのはワクワクしますが、折口信夫によると(日本)芸術の起源は土地の精霊ということなので、さてどうしましょう。

神のいない神話

二年前の冬、2018年の11月に、長いあいだ記録としてしか興味の無かった写真を撮り始めました。意識的に写真を撮るのは、三十年振りです。その一年後にはフィルムカメラで撮り始めていました。このブログにフィルムで撮った写真を、ポートフォリオとしてまとめ始めたのが今年の夏。公園で撮影した写真を「Park」としてまとめています。何気ない日常の風景に「神のいない神話」を見出していきたいと、新たに「Street」セクションを作りました。

street 01

たかがカメラ、されどカメラ

スマートフォンの登場でビデオ撮影も超お手軽になった現在でも、写真の人気は衰えることが無い。映像という視点から、1枚の写真には少なくとも、90分の動画に匹敵する何かがあるのではないだろうか。さすがにフィルムカメラの新製品はほぼなさそうですが、それでも街に一つはフィルムを現像してくれる写真屋さんが現存しています。

コロナのおかげというのもなんですが、あくせくしなくても許される時期がやってきて、若いころからから集中してやってみたかったフィルム写真とその白黒現像に手を出すことができました。父親の遺したコンパクトカメラ3台(Canon Autoboy、Konikca C35 AF、OLYMPUS mju: ZOOM 140)をはじめに、安い物ばかりですが、二眼レフ(Yashica Flex)を1台、コンパクトカメラを6台(minolta AL-E、minolta HI-MATIC 7 x2、Yashica ELECTRO 35MC、PETRI Color 35E、OPTIMA 335)、一眼レフを4台(minolta SRT-101 x2、Nikon EM、Nikon F3)、120フィルムのトイカメラ(HOLGA 120)を1台手に入れ、3台は修理をあきらめ、一眼レフ2台は人にあげました。

カメラを調べるうちに、これはいいなと思うコンパクトカメラがありました。PETRI Color 35です。大正6年にカメラの生産を始めたペトリ(旧:栗林写真機械製作所)は、戦後、労働闘争の末に倒産して、労働組合の経営となり、その後衰退していったのですが、かつては日本を代表するカメラメーカーだったそうです。

㐧4次ペトリ斗争 勝利記念」と銘をうたれたカメラが今やネットで転売されていたという、この無常感とも相まって、いつかPETRI Color 35を手に入れたいと考えるようになりました。個体数も多くは無いようで、中古でもそれなりの値段(といっても一万円前後)です。以前、安く出ている後継機の35Eを手に入れてみたのですが、露出計が壊れていて、今のところ直せていません。35Eの露出はフルオートなので、露出計が動かないとちゃんと撮れないのです。

先日、ネットオークションでふと目に入ったブラックカラーのPETRI Color 35。これを手に入れない限り、永遠にこのカメラで撮影することはないだろうと直感し、とうとう手に入れたのです。少し難ありとのことでしたが、思ったほどの問題はなく、修理無しで使えそうです。

とりあえず納得できるカメラが揃ったので、ようやくフィルムカメラ選びの沼から抜けることができそうです。あとは写真を撮影/現像して、自分が何を見ているのか、見ようとしているのかを見極めたいと思います。

単純な属性にカテゴライズされてしまうことへの違和感

多分、芸術を目指す前だったと思うが、テレビのバラエティー番組で岡本太郎が「ピアノを弾いて」その後のインタビューで「太郎さんは何者なんですか」との答えに「人間です」と答えていたのが強く記憶に残っている。良くも悪くも我々は人間という種であって、多分、それ以外の何ものでもない。自分が管理している「素人の乱12号店」で、3~4年ぶりに開催するノマドギャラリー「ナオナカムラ」のプレスリリースを読みながら思い出した。

「展示空間内にいる個人がその固有の具体性を失い「女性」や「パフォーマー」、「アーティスト」などといった単純な属性にカテゴライズされてしまうことへの違和感」

人は他人をカテゴライズして安心する傾向があると思う。突き詰めれば、良い人とか悪い人とかそういうことです。好きな人、苦手な人がいるのは分からなくもないですが、生命はそんな後付けの善悪でカテゴライズされるような単純のものではないと思うのは、地球や宇宙にとって人間などというものは害悪でしかないと感じることが度々あるからだ。リベラルだろうが、ファシストだろうが、宇宙にとって大した違いはないだろう。そんな害悪そのものの人間が宇宙に存在しているということを、どのようにとらえればいいのか。答えは「ディープ・エコロジー」ではない。人類の絶滅を期待するのは、種(主体)として間違っていると思う。

「ナオナカムラ」ディレクターの中村奈央さんが「妊娠、出産、育児」という男性にはなかなか経験できない、ある意味、特権的な人生の過程/経験を経て再起動した、ノマドギャラリー「ナオナカムラ」のセカンドステージが楽しみでならない。

関優花個展「私をばらばらに説明する」