民衆芸術運動(35)

金井正は山本鼎に出会う二カ月前、大正四(一九一五)年十一月に、西田幾多郎・田辺元のいわゆる京都学派の影響下に執筆した哲学書『霊肉調和と言う意義に就て』を自費出版し、哲学による社会主義的理想の実現を模索している。
その中で金井は、創造主とされる神は自らの創造の原理にあるとした。
後日、山本に聞かされたロシアの児童創造画展と日本での児童自由画展の計画に、金井は自らの哲学の実践の可能性を見出したのだろう。

 自らの中に創造の原理を蔵し、自らの力によって自らを分化限定して世界を構成する生命其物を措いて、何れの処にか神を求むべき、私共が神を知るとは、私共が自分の中に流るるこの生命の力を自覚することでなくて何であろう。自らの力を自覚することが自らを神化することではないか。道は近きにあり遠くに求むべからず。自己の神を捨てて空架なる異邦の神を求むるのは不信の至極であろう。
 私共が私共の神を自分達の中に見出す時、一切の欲求は満足と歓喜とに於いて諧調し、一切の霊的なるものは肉的なるものに即し、一切の肉的なるものは霊的なるものに反かない。自我と非我、精神と物質等の対立は渾然たる融和の中に各其の適然の姿を見出すであろう。而してすべての清きものと共にすべての醜きものを容れうる神の王国が地の上に建設せられるであろう。此王国を支配する神は清節を喜ぶと共に享楽を拒まない人間自らの神聖なる標徴でなければならぬ