宮沢賢治と限界芸術

世間はお盆休みらしい。フリーターはみんなが休みの時に働く!

とはいえ、今日は労働的なことはやめて、散らかった机の上を片付けることにした。スピーカーを本棚の上に移して、100円ショップで買ってきた箱に本棚のCDを入れスピーカーのあった場所に置き、机の上以外に置き場のなかった本をCDのあった場所に並べた。
自由芸術大学の読書会で宮沢賢治を読んでいる。『ヒロシマノワール』著者の東琢磨さんが、SNSに示唆的なコメントを入れてくれていた。鶴見俊輔の『限界芸術論』に宮沢賢治の芸術論についての言及。本棚を探したけど『限界芸術論』は無かった。以前、福生に住んでいた時、小旅行がてらだろう、よく人が遊びに来た。飼っていた犬と猫に会いに来ていたのかもしれない。話していて、自分が持っている本にその時の話の内容があるときなど、すぐに本をあげていた。みんなはその本をちゃんと読んだのだろうか?多分、それほど読んでないと思う。で、そういう時に『限界芸術論』もあげてしまったのだろう。持っていたはずの本が読みたいときに見つからない。よくあることだ。近所の古本屋に探しに行く。『限界芸術論』は無かったが、町田市国際版画美術館『版画|80年の軌跡』上下巻、美術手帖『イスラームのかたち』、菅谷規矩『宮沢賢治序説』、そして、小倉利丸『カルチャー・クラッシュ』を買う。全部で1300円+消費税也。明日は阿佐ヶ谷の古本屋に行こう。