運動の木版画とドイツ表現主義

190620世紀における東アジアの版画の興隆/復興は、魯迅による熱烈なケーテ・コルビッツの推奨を見てもわかるように、ドイツ版画の影響が強いようだ。メキシコの木版画や現在の東南アジアの政治的な木版画の表現は「エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー」のスタイルに似ていると思い、ドイツ表現主義について調べてみると、キルヒナーたちはドレスデンで《ブリュッケ》という素人アートコレクティブを作って共同生活しながら、制作活動を行なっていたとのこと。

ドレスデン、一九〇五年《ブリュッケ》の結成とその画家たち
――共同生活と芸術――

われらはみんな仕事仲間 ドレスデンのベルリン通りに、空いている靴屋の店を借り、そこを共同アトリエとして、画を描いたり議論を闘わしたりしている青年たちがいた。一九〇五年のことである。周知のようにこの年は、パリのサロン・ドートンヌにおいてマティスやブラマンクの絵が《フォーヴ》(野獣)と罵られた年であったが、不思議にもこの同じ年に、ドイツにおいて芸術家集団《ブリュッケ》が出発したのである。
これらの青年たちは、二一歳のシュミット=ロットルフ、二二歳のヘッケル、二五歳のブライルとキルヒナーという、ドレスデン工科大学で建築を学ぶ学生たちであった。かれらは自らを芸術家集団《ブリュッケ》と呼んだが、美術について専門的な訓練を受けたものはなく、これまで素描や水彩を熱心に描いてはいたが、油絵を描くことはまれで、その意味でいまだ専門的な画家といえるものではなく素人の集まりであった。後に詳しく触れられるが、ヘルヴァルト・ヴァルデンが率いる週刊誌《シュトゥルム》の運動、また政治・社会問題も論ずるペェムファート編集の《アクツィオーン》中心の運動、さらに、雑誌《青い騎士》による運動などの、ドイツ表現主義といわれる芸術運動は、絵については独学の、この若い素人によってはじめられたといえるのである。

表現主義の美術・音楽 ドイツ表現主義 1971 河出書房新社

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