ヒロシマ・モナムール

アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本『ヒロシマ・モナムール』
邦題は『二十四時間の情事』だが、1959年公開。そういった時代だったのだろう。
こんな重要な映画を見てなかったんだなと思う。
英語字幕ならWEBにあった。
https://vimeo.com/channels/868273/117987724

Elle : Tu n’as rien vu à Hiroshima. Rien.
君はヒロシマで何も見ていない 何も
Lui : J’ai tout vu. Tout.
私はすべてを見たわ すべてを

いま、デュラス的なものが絶対的に欠けているのではないだろうか。


概要(Wikipedia)

外部からやってきたフランス人という存在が、原爆をどこまで知ることができるのか? というアラン・レネ監督の想像から映画制作は始まった。人間が、現実を批判しながら自己の心の在りかを探求していく過程を、個人の内面にある戦争を背景に描いた作品である。

当初はカンヌ国際映画祭でフランスからの正式出品のはずだったが、1956年の『夜と霧』と同じく「時宜を得ない」との理由で却下され、コンクール非参加作品として特別上映された経緯がある。映画祭がこの作品については当時の米国の心証を、その前の『夜と霧』ではドイツの心証を、それぞれおもんばかったと言われた。ジョルジュ・サドゥールはこの作品を「時代を画する作品」と激賞し、「FILM辞典」でも「ヌーヴェル・ヴァーグの最も重要な作品」と評価した。

この作品は1959年度カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞と1960年度ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞している。

1979年セザール賞のフランス映画トーキー・ベスト・テンでは、史上第7位に選出された。

映画の全編(ヒロインの第二次世界大戦中の回想シーンを除く)のロケーションを1958年当時の広島市で行い、多くの市民が撮影に参加している。2人が情事にふける立町のホテル周辺や、フランス語で記載されたプラカードで反核平和を訴えるデモ行進を行っているシーンなど、多くの市民の姿が映し出されている。当時の広島駅、平和公園、広島平和記念資料館、新広島ホテル、広島赤十字・原爆病院、本通り商店街、原爆ドーム、太田川なども登場する。

映画の製作に、フランス側は『夜と霧』を製作したアルゴス・フィルム他、日本側は大映、そしてパテ・オーヴァーシーズがとりまとめた合作映画である。映画の題名は初期の企画段階では「ピカドン」だった。

ゆれるゴッホ

1月28日のFAUゴッホレクチャー、やはりアブサンを舐めて聞いてもらいたいなと、ふるまいアブサンを一本買った。まだ見ぬアルルを感じる。ちょうどゴッホが『お菊さん』を読んで日本を感じていたように。

魔法使いの弟子

2015年に出版されたジョルジュ・バタイユ『魔法使いの弟子』定価520円のその小冊子はバタイユと結核で死にゆく恋人「ロール」との愛の世界のエクリチュールだ。景文館書店から発行されたその表紙にはなぜかキリンジのスウィートソウルのPVのカットが使われている。キリンジのことは何も知らないし、なんとなく使ったのかとも思えるが、ゆっくり聞いてみたいと思う。

偶然の《恐ろしい》王国に背を向ける大衆のことを考えると、たちまち長い不安の中へ落ちてしまう。そうなるのはもう抗いがたい。じっさいこの大衆は、安全に確保された生が、そのまま妥当な計算と決断にだけ依存するようにと求めているのだ。恋人たちや賭博者たちは《希望と恐怖の炎》の中で燃えあがりたいと思っているのだが、そのような意欲を失った人々からは、あの《ただ死とのみ拮抗する》生は、遠く離れていく。人間の運命は、気まぐれな偶然が事を図るのを欲している。これとは逆に、人間の理性が偶然の豊かな繁殖に代えて差し出すものは、生きるべき冒険などではもうなくて、実存の諸困難へのむなしくて妥当な解決なのだ。何らかの合理的な目的に関わる行為は、奴隷のように耐え忍ばれた生活の必要性に向けて打ち出された答えでしかない。逆に、好運の魅惑的なイメージを追い求める行為こそ、唯一、炎のように生きる欲求に応えているのである。 ジョルジュ・バタイユ