オーヴェールの教会と麦畑

FAUでゴッホの話をするのに、墓参りに行った時のことも話そうかと、データを焼いたDVDの写真を探したが見つからない。オーヴェールの教会と麦畑の写真だけは残されていた。

ゴッホが描いた建物や風景には絵と解説のパネルが設置されている。
この麦畑の先にある小さな墓地にゴッホとテオの墓はある。 2003年の8月の夕方、カラスではなく鳩が飛んでいた。

 

同じフォルダにあったおまけの写真は、ポルトガルで会ったアーティストに、おみやげで持っていった越中ふんどしの付け方を教えているところ。 次の日には「俺を男にしてくれた!」と喜んでいた。いったい彼に何があったのだろう。

永井荷風『江戸芸術論』

というわけで、ゴッホの話をすることにした。『ゴッホの日記』を中心に話すつもりだが、浮世絵について触れないわけにはいかない。本棚に永井荷風の文庫『江戸芸術論』を見つける。いつ買ったのか、ちゃんと読んだかどうかは忘れてしまっているが、目を通すと、今回話そうと考えていることに大いに関わるものだった。

…特殊なるこの美術は圧迫せられたる江戸平民の手によりて発生し絶えず政府の迫害を蒙りつつしかも能くその発達を遂げたりき。当時政府の保護を得たる狩野家の即ち日本十八世紀のアカデミイ画派の作品は決してこの時代の美術的光栄を後世に伝ふるものとはならざりき。しかしてそは全く遠島に流され手錠の刑を受けたる卑しむべき町絵師の功績たらずや。浮世絵は隠然として政府の迫害に屈服せざり平民の意気を示しその凱歌を奏するものならずや。官営芸術の虚妄なるに対抗し、真性自由なる芸術の勝利を立証したるものならずや。宮武外骨氏の『筆禍史』は委ぶさにその事跡を考証叙述して余すなし。余またここに多くのいふの要あるを見ず。

宮武外骨の『筆禍史』も読まなければならなくなってしまった。

ゴッホと協同組合

少し前にも書いたが『ゴッホの手紙』は現在の活動の原点だ。ゴッホが勘違いして理想化してしまった、表徴の帝国「日本」。そしてゴッホが夢見た画家の《協同組合》。そんなものは日本には無かったのだよと、あの世のゴッホに伝えたい。しかし、芸術協同組合の可能性をいま考えることはできるだろう。来年の初春に自由芸術大学で《ゴッホと協同組合》についてのレクチャーを行おうと考えている。

 人びとは、ヴァン・ゴッホの精神的健康について云々するかも知れぬ。だが彼は、その生涯を通じて、片方の手を焼いただけだし、それ以外としては、或るとき、おのれの左の耳を切りとったにすぎないのだ、
 ところが彼の生きていた世界では、人びとは、毎日、緑色のソースで煮たヴァギナや、鞭で引っぱたいて泣きわめかせた赤ん坊の、
 母親の性器から出てきたところをつかまえたような赤ん坊の性器を喰っていた。
 これは、比喩ではない。全地上を通じて、大量に、毎日、くりかえされ、つちかわれている事実である。
 それにまた、このような主張は、いかにも気ちがいじみたものに見えるかも知れないが、現代の生活は、まさしくこんなふうにして続いているのだ。乱行、無政府状態、無秩序、錯乱、放埒、慢性の狂気、ブルジョワ的な無気力、精神異常(なぜなら、人間ではなく世界が異常なものになったのだ)、故意の悪行と、とてつもない偽善、すぐれた素性を示すいっさいのものにたいするけちくさい侮蔑、そういったものの作りなす古くさい雰囲気のなかで、
 最初の不正の遂行のうえに築きあげられた或る秩序全体の要求、
 そして最後に、組織化された罪、これらのものの作りあげる古臭い雰囲気のなかで続いているのだ。
 自体は悪質だ、なぜなら、病んだ意識は、このようなときには、おのれの病からぬけ出せぬことに、根本的な関心を抱いているからだ。
 かくして、いたんだ社会は、精神病学なるものを作りあげたのだが、それは、この社会にとってはなんとも具合の悪い予見力をそなえた、何人かの卓抜な千里眼的人物の探査からおのれを守るためである。

アントナン・アルトー『ヴァン・ゴッホ』序文より抜粋
 

心からご冥福をお祈り致します

12月16日「2017年度日本生協連資料室 土曜講座」で『原水禁署名運動の誕生』の著者、丸浜江里子さんが《戦前~戦後の城西消費組合の中心メンバーたちの生協活動》をテーマに講義をされる予定だった。

ひと月前、11月19日には自由芸術大学のレクチャー《戦後初の公選杉並区長―新居格から受け継ぐこと》で公益学を提唱されている小松隆二さんと新居格についての講義をお願いしていた。9月末に浜田山の喫茶店で直接お会いして打ち合わせを行った際には、自転車で来られるほどお元気だった。11月14日に病室からお電話をいただき、体調が良くないのでレクチャーに出られないとの連絡を受けた。12月16日の講義もお有りだし、無理しないように欠席していただいた。当日、電話を繋いで少しお話いただこうかとも考えたが、ご無理をさせてしまってはと、小松さんにお願いして丸浜さんの時間もお話いただいた。

12月7日に丸浜さんが亡くなられたとの連絡を受ける。突然の訃報で言葉にならない。
11日に行われた通夜でご焼香させていただいた。百人以上並んでいただろう、大勢の弔問客がいらしており、生前のご功績が偲ばれる。受付で、仕事関係者/運動関係者/一般の選択項目があった。少しの時間悩む。しいていえば、運動関係者なのだろうが、なぜか気が進まず「一般」に丸をつけた。

丸浜さんとはごく最近、日常の繋がりの中で出会うことになった。版画コレクティブA3BCが毎年出品している原爆の図丸木美術館で行われる「今日の反核反戦展」。実行委員会にも参加した関係で、年に数会通うようになった。はじめて原爆の図 第10部 《署名》を見た時から気になっていたのだ。杉並で展示されたことはないだろうし、そのために自分が動かなくてはならないのではないかと。

今年の春に自由芸術大学を立ち上げ、7月2日に「美術が繋ぐ広島・沖縄──原爆の図丸木美術館と佐喜眞美術館」と題したレクチャーを二つの美術館の学芸員の方に行っていただいた。そのレクチャーを機会に「杉並で署名を展示する会―準備会」を立ち上げる。少し前に、商店街の商店会の総会があった。議員に立候補したこともある商店会長に「展示する会」について相談すると、丸浜さんの著書『原水禁署名運動の誕生』を貸してくれた。表紙には原爆の図《署名》が使われていた。その深く広がりを持つご研究に感銘を受ける。

「杉並で署名を展示する会―準備会」は会議を続けていくうちに、来年が杉並区平和都市宣言30周年ということで、「杉並から平和の輪をつなぐ会準備会」となった。原爆の図《署名》の展示にとどまらず、六十年前の『原水禁署名運動』のように杉並から世界につながる運動が起きないかと考えている。いや、起きなければならない。丸木位里・丸木俊、そして丸浜さんの意思を継いで。

次回の「日本生協連資料室 土曜講座」は中止になるだろう。丸木美術館で行われる《ICANノーベル平和賞受賞記念・川崎哲講演会「核兵器禁止条約で変わる世界~日本はどうする~》に行くことにした。

丸浜江里子様のご逝去を悼み、心からご冥福をお祈り致します。

Trans Local Exchange and Trading System


地域通貨は個人が発行する貨幣なのだが、現行の債権(借用書)としての貨幣に倣ったシステムであり、結局、負債を抱える人が出てくる。債権でない貨幣は金貨のようなそれ自体に価値があると信じられている『物』なのだが、ここにきて『仮想物』としてのビットコインという新しい貨幣が出現した。いわゆるエコマネーをブロックチェーンの仕組みを使って作れば、理想的な地域通貨が作れるのではないだろうか。その場合、中心の無いグローバルな仮想通貨は地域通貨/LETS(Local Exchange and Trading System)とは言えないので、TLETS(Trans Local Exchange and Trading System)と名づけることにする。まだ考えがまとまっていないのだが、来年、自由芸術大学で実験的に既存のオルトコインを使った〈TLETS〉交換を始めてみようと思う。いつかアカデミーコイン、アートコインのようなオルトコインが出来ることを期待して。