苺一会~真愛~ペルシャ

狐と狸の化かし合いが社会全体を覆っている。混沌は暴力を呼び覚ます。そこで善や愛を歌うことも出来るが、あっという間に資本に回収され、そこで作られたムダ金が格差を生み出し、化かし合いに使われる。非暴力であることは、言葉に頼ることになりがちだが、プレカリアートをマルチチュードと言い換えてみたところで、事態は何も変わらない。今、決定的に欠けているのは心のきれいさだ。
 
一人の少女に出会った。少女という言葉が何歳までを指し示すのか知らないし、ここでは関係がない。少女はこころのきれいさの象徴なのだ。少女はプロではないシンガーソングライターだ。ヒット曲を作るためには資本への忠誠が必要だが、作りたいときに曲を作り、歌いたいときに歌う。これがほんとうの音楽というものだ。そして彼女の流れるような曲や歌声や仕草、音程の揺らぎに心のきれいさがにじみ出してくる。彼女たちは「いちご牛乳」というバンドを組み、気が向いたときに「苺一会」というイベントを開いている。ダジャレにさえ心のきれいさ可愛さが込められるものなのだ。「真愛 – Zhen Ai」という二胡と箏の演奏で歌うオリジナル曲もある。アジアの感性のひとつの表現だ。いま、彼女はイランの音楽を日本で紹介したいと研究に励んでいる。

 

谷中安規の夢 - シネマとカフェと怪奇のまぼろし –

阿佐ヶ谷にコンコ堂という趣味に合う本を置いている古本屋がある。そこで見つけた『谷中安規の夢』
6千円台と自分にとっては高かったが、400点ほどもある作品図像はお金には代えられないと購入した。
コーヒーとニンニクを食い、空襲の焼け跡に建てた掘立小屋で餓死という、版画家貧乏伝説とはかけ離れた作品の数々。
昭和21年に49歳で安規が餓死ぜざるを得なかったのは、版画のせいではなく、やはり戦争のせいなのだ。