シュルレアリスムと原爆の図

1941(昭和16)年にシュルレアリスム事件と呼ばれる弾圧が起きる。評論家の瀧口修造と美術文化協会の福沢一郎が8か月もの拘留を受けた。1925年に治安維持法が出来ているのだから、もはや誰だって捕まえられる。その後は翼賛的な宣言文を書き、自粛しつつ会を存続することにしたようだ。その「美術文化協会」に作品を出品していたのが、丸木位里・俊である。丸木夫妻もまたシュルレアリストであったのだ。丸木位里は水墨画の技法「流し込み」にシュルレアリスムを見ていた。原爆の図でも、これでもかというほどに流し込みの技法が使われている。アンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言にある「だれだれはなになににおいてシュルレアリストである」に倣って言えば、「丸木夫妻は反核・反戦においてシュルレアリストである」となるはずだ。

コラージュと集団制作

自由芸術大学でシュルレアリスムについてのレクチャー『足立正生は革命においてシュルレアリストである』を足立正生さんにお願いした。
絵や版画を始めた頃は、日本のシュルレアリスト瀧口修造が亡くなったのと同時期で、その影響は大きかったのだが、もともと難しいといわれていた美術におけるシュルレアリスムであったこともあり、理論的・精神的支柱が失われ、昭和初期から続いてきた大きな流れが、次第に失われていくように見えた。しかしそれは無意識の中で脈々と流れ続けていたのだろう。企画を進めるために再勉強を始めたのだが、昔は見えていなかったものが見え始め、寄り戻しによる体制の変化が起きている現在、緊急に取り戻さなければならないことに気づいた。そして、マックス・エルンストが生み出した技法である「コラージュ」というものを、数年前から行っている版画のコレクティブですでに実践していたことにも。集団で版画を作るということは「コラージュ」するということなのだ。


HDへの移行期に安く売っていたサンヨーのDMX-CA8というピストル型のビデオカメラを押し入れの奥から探し出した。思いついたときに短い風景のカットを撮影して「コラージュ」の素材にしてみようと思った。先日、神田の書泉グランデで足立正生監督の映画『断食芸人』DVDの発売記念イベントに行くときに録画ボタンを押してみたのだ。