国防芸術と政策芸術

mizue戦前、昭和十六年一月号の美術雑誌「みずゑ」に『国防国家と美術(座談会)――画家はなにをすべきか』という座談会の記事が掲載され、その後、芸術家や芸術団体への弾圧が始まった。

昨日、2015年6月25日に自民党議員が開いた「文化芸術懇話会」で全くといっていいほど同じ思考回路で『政策芸術』というものの本質が語られた。これが現在の政権与党の自民党の開く勉強会だというのが空恐ろしい。これからのひとつの方針、方向性を示しているのだから。

今回はマスメディアに対しての規制進言であって、まだマスメディアには社会的な発言力が残されていて、政府・与党もしぶしぶ謝罪したようだが、矛先が芸術家や芸術団体、芸術学校に向いたとき、アートは再び死を迎えることになるかもしれない。

チームワレラ個展「農民芸術一揆!prototype2015~宮沢賢治【農民芸術概論綱要】と共に~」

unnamed東京高円寺にある素人の乱12号店「ナオナカムラ」で、明日6月23日まで開催している、チームワレラ個展「農民芸術一揆!prototype2015~宮沢賢治【農民芸術概論綱要】と共に~」。築50年あまりの、以前はオルタナティブな学校としても使われていた「フデノビル」、その2階の一室にある素人の乱12号店が「ナオナカムラ」によって農家の納屋と化していた。

チームワレラは岐阜の美濃市にある円形にデザインされた農園で、元シルク・ドゥ・ソレイユダンサーのやまだしげきをはじめ、自然農法の実践を行う仲間とともに結成されたアートコレクティブだ。宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」を活動の柱として作品制作も行う。

美濃国郡上藩での郡上一揆で用いられた「傘連判状」形式で美濃和紙に署名、血判した作品を「農民芸術概論綱要」を記した何枚もの黒い板が取り囲む。近所の人が描いた油絵や語る声が、カセットテープに録音された田んぼのカエルの鳴き声と重なる。まるで羅須地人協会が東京の片隅に現れたよう。

この幻の私塾も明日消える。
「創作止めば彼はふたたび土に起つ」

前回「天才ハイスクール!!!!展覧会「Genbutsu Over Dose」」出品作のその後も。
ぜひ立ち寄って時空を超えてみることをおススメします。

エートスと資本主義の精神

一時期大騒ぎとなったエートス・プロジェクト。最近はエートスという単語さえ目にしなくなってしまったが、すでに「社会的心理」となってしまっているのだろうか。

マックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、資本主義の精神として語ったエートス。訳者解説の中で大塚久雄氏は、このエートスについて以下のように述べている。

「エートス」は単なる規範としての倫理ではない。宗教的倫理であれ、あるいは単なる世俗的な伝統主義の倫理であれ、そうした倫理的綱領とか倫理的徳目とかいう倫理規定ではなくて、そういうものが歴史の流れのなかでいつしか人間の血となり肉となってしまった、いわば社会の倫理的雰囲気とでもいうべきものなのです。そうした場合、その担い手である個々人は、なにかのことがらに出会うと条件反射的にすぐにその命じる方向に向かって行動する。つまり、そのようになってしまったいわば社会的心理でもあるのです。主観的な倫理とはもちろん無関係ではないけれども、もう客観的な社会心理となってしまっている。そういうものが「エートス」だ、と考えて良いのではないかと思います。

「禁欲的信仰」と「資本的営利主義」これら相反するものを結びつけるのが「エートス=資本主義の精神=社会の倫理的雰囲気」ならば、フクシマに置き換えれば、「放射能汚染された土地」と「健康な生活」というものを結びつける「社会の倫理的雰囲気」を作り出すことを目的としたものが「エートス・プロジェクト」であって、それは「資本主義の精神」にも直結していることになる。また、安保法案は「平和」と「戦争」を結びつけるエートスだとも言えるだろう。政府は妄言を吐いてエートスを作り出そうとする。被曝し戦火にさらされる、健康で平和な「いつもの場所=エートス」を。

禁欲的に金儲けをする、健康的に被曝する、平和な戦争をするといった矛盾に対して無批判でいること。倫理ではなく倫理的雰囲気に従うこと。それがエートスがもたらすものなのかもしれない。わたしたちはこれら「社会の倫理的雰囲気」によって、条件反射的に動かされないように、十分に気をつけなければならないだろう。

生きた貨幣とヒップホップ

ザ・ブリティッシュ・インヴェイジョンよりもヒップホップの方が革新的だという研究発表があったらしい。その通りだと思う。研究はヒットチャート登場以降の分析のようだが、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJ、パーティといった総合的な表現の革新は、他に類を見ないものだろう。

先日、大きな地震があった日に、アンスティチュ・フランセで開かれていた「生きた貨幣」というイベントに行った。ロベール・ブレッソン『ラルジャン』の上映から始まったので、その後のトークや鼎談は映画批評みたいな感じになってしまっていた。「貨幣」についてのリサーチのつもりで行った自分にはいまひとつだったが、鼎談終了後に屋外ステージで行われていた「東京ELECTROCK STAIRS」のダンスはちゃんと「生きた貨幣」をテーマにしていたようで良かった。初めて知ったのだが、ヒップホップをベースにしたダンスグループらしい。「無形の欲動が波立ち騒ぐ身体(兼子正勝)」というものが表現されていたように思えた。それはヒップホップの経験無しでは表現出来ないものだろう。ブレイクダンスは「流れとしてのリビドー」なのかもしれない。

地震がやってきて途中で席を立った。彼らは知ってかしらでか、ダンスを続けていた。

リトグラフ用インクで木版を布に摺る

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A3BCで制作した「沖縄米軍基地建設反対運動連帯木版バナー」はいつものサクラの版画用油性インクではなく、版画用品店にあるリトグラフ用のインクを使った。以前、このインクで試してみたときはサクラのインクに比べて乾くのが遅い気がしたので、ドライヤー(インク乾燥促進剤)を混ぜて摺ったのだが、量が少なかったのか、乾きが遅い。入れる量は2~3%のはずだ。あと、インクの硬さ。リトグラフをやっていたときはワニスでユルめた記憶はなく、とにかく練って固さを調整していたが、それでも硬かったようで、ローラームラではないムラが出たり、インクがはがれ易い感じだ。沖縄に送るため、もう一度木版バナーを摺るということで、それに向けて小さな版で試してみた。ワニスを混ぜてサクラのインク(チューブ入り)程度までユルくして、ドライヤーを多めに(5%程度)入れてみる。リトグラフ用インクの方が匂いが仄かだ。

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端切れが無かったので、白いTシャツに『トマトの日』を摺った。今年の夏は空襲の、原爆の悲しみを背負って生きよう。

前橋映像祭三つ折りパンフレット

前橋映像祭事務局から、三つ折りパンフレット(タイムテーブル)用のデザインを木版で作れとの司令が下った。この映像祭ではドキュメンタリー、ドラ マ、ショートフィルムや実験映像など、多様な作品が上映される。デザインによってひとつの方向性を示してしまわないよう、文字だけでデザインする。自分の 傾向として、ダブルイメージ(見方によって二種類のイメージが見えるものではなく、二つのイメージを重ね合わせるコクトー的な)を使いたがるので、木版水 彩三色摺りで、「二〇一五」と「前橋映像祭」をストレートに重ねあわせたロゴ、タイムテーブルなどの詳細が入る部分に、光を放つレンズをモチーフに楕円を 散らした。

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三つ折りパンフレットは当日配布されると思いますので、ぜひ来場して手にとってください。前橋、案外東京から近いです。

◎第六回前橋映像祭 6月27日(土) – 6月28日(日)前橋弁天通り
https://www.facebook.com/events/834377299971214/