『お金よ、お金を描くのよ』とマリエルは答えた

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「アンディは『いくら』とたずねた。『五十ドル』がマリエルの答だった。アンディはまっすぐ机へ行って小切手を書いた。
『いいわ。じゃ、アンディ、あんたの一番好きなものは何なの、言ってよ』とマリエル。
『さあ、なんだい』とアンディ。
『お金よ、お金を描くのよ』とマリエルは答えた。素晴らしいアイディアだとアンディは思った。そしてその夜おそらくマリエルは、見なれているため誰も気にしないようなもの。『キャンベル・スープの缶なんか』を描いたら、とも(今度は無料で)おしえた。」 Tomkins: op. cit., P.46. f. 中村敬治 訳

風呂で本を読んではいけない

IMG_0072 貨幣についての作品制作・展示を行おうと考えている。「貨幣」について考え始めたきっかけは、言わずもがなマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だった。本棚の奥の方から引っ張りだしてみると、水に濡れたまま乾かした感じで、全てのページがシワシワになっている。思い起こせば以前、風呂に入りながら読んでいて、ついうとうとした時に、お湯に落としてずぶ濡れになったのだった。風呂で本を読んではいけない。あらゆるひとにとって示唆に富む一冊と言えるだろう。

「Genbutsu Over Dose」と『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』

天才ハイスクール!!!!展覧会「Genbutsu Over Dose」のうずらの卵が気になったこともあり、高円寺に三日間通った後に、同じく美学校関係者の木村奈緒さんが企画した『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』を駒込にある「KOMAGOME1-14cas」に観に行く。

「Genbutsu Over Dose」と『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』は鏡像関係にある展示だと思う。「Genbutsu Over Dose」は「死=生」を媒介としたアートであり、『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』はアートを媒介とした「生=死」である。美学校の同士である若者たちが、同時期に死を中心点として両極に広がる展示を行なっていることは、特筆に値するだろう。

「Genbutsu Over Dose」を観た人は『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』にもぜひ出向いて欲しい。

『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』
会期:2015年4月22日(水)ー 26日(日)(5日間)
会場:KOMAGOME1-14cas
時間:11:00 − 20:00
会期中無休・入場無料
主催:JR福知山線脱線事故から10年展実行委員会
http://fukuchiyama10years.tumblr.com/

ナオナカムラは永久に不滅です!

gob天才ハイスクール解散展『Genbutsu Over Dose』。そのカオスから生まれるエネルギーを感じながら、頭に浮かぶ言葉は「ノー・フューチャー」だ。解散展なのだから、そのイメージは正しいとも言える。作品は作家自身の業の深さを探ることによって、人間の闇に焦点をあて表現したものが多かったと思う。

この展覧会について語る言葉を持たないが、あえてこう言いたい。

「天才ハイスクールは引退いたしますが、我がナオナカムラは永久に不滅です!」

展覧会は2015年4月21日火曜日まで、必見です!

「ノー・フューチャー」。パンク文化はこう宣言した。それと同時に、ボローニャやローマの創造的な蜂起行動はこう宣言した。「未来なんてありゃしない」。ぼくたちは依然としてそこにいる。戦争によって、意識や生存に適した生への希望が破壊されているあいだは、ぼくたちは依然としてそこにいる。依然として、77年運動の敗北がぼくたちを置き去りにした、その地点にいるのだ。
「ノー・フューチャー」は、当時と同じように、もっとも先鋭的で、もっとも真実を語っている状況分析のままでありつづけている。
そして、絶望がもっとも人間的な情感のままでありつづけている。

NO FUTRE ノー・フューチャー ―イタリア・アウトノミア運動史
フランコ・ベラルティ(ビフォ) 2010年 洛北出版

明るい未来見えず…原子力PR看板撤去へ

原発震災後にメディアで散見されることになった、双葉町の原子力PR看板。特に「原子力明るい未来のエネルギー」という看板と標語は、アウシュビッツ強制収容所の入り口に建てられた、「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と直結する。昨年、原爆の図丸木美術館で開催された「今日の反核反戦展2014」にA3BC(反戦・反核・版画コレクティブ)で出品したバナーの一部としてシンプルな木版を作成した。空に漂う雲は エドヴァルド・ムンク「叫び」から引用した。

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2015年3月11日、東日本大震災から4年目を迎えた日、河北新報オンラインニュースに双葉町の原発看板撤去のニュース記事が掲載された。

「明るい未来見えず…原子力PR看板撤去へ」
東京電力福島第1原発の立地町で、全町民が避難している福島県双葉町は、原子力のPR看板を掲げた町内2カ所のゲートを撤去する方針を決めた。老朽化が理由。看板は、原発との共生を目指した町の象徴だった。帰還困難区域の町中心部で町道をふさぐように倒壊している家屋も除去する。
新年度の一般会計当初予算案にゲートの撤去費410万円と、家屋除去を含む町道環境整備費3200万円を計上した。
国道6号に面した町体育館前のゲートは1988年の設置で、表裏に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表記。役場入り口のゲートは91年に完成し、「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力豊かな社会とまちづくり」と書かれている。標語は町民から募集した。
ともに鉄骨やトタンで造られ、文字板はアクリル製。長期避難で管理ができず、腐食が進んだ。町復興推進課は「作業員や一時帰宅した町民の安全性を考え、撤去を決めた。標語の内容は関係ない」と説明。伊沢史朗町長は「保存は考えていない」と述べた。
撤去は夏以降になる見通し。いわき市に避難する男性(57)は「安全神話が崩れ、避難している町の現状を考えれば、看板の言葉はふさわしくないが、町の歴史を表してもいる。撤去は一つの節目で、複雑な気持ちだ」と話した。
道路に倒壊した家屋の除去は、旧国道の町道沿いにある11カ所が対象。所有者の了解を得た上で、道路にはみ出した部分を取り除く。地震や長期避難による老朽化で崩れた家屋は、無人と化した町の荒廃を物語っている。
河北新報オンラインニュース

そのまま無人の街に建ち続けさせるわけにもいかないのだろうが、こういう教訓はきちんと保存するべきと思う。

三陸海岸沿岸には200基もの津波記念碑が建てられていると聞く。
高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に 家を建てるな。

 

そして反対することこそが芸術の根源です

CBaGxcgUUAAGqDD-474x613粛々とろくでもないことが進む一年にしないためにも、
A3BC
では反物木版カレンダーを製作しました。
反戦・反核・反物・版画カレンダーです。
思いの外「反」が一つ増えました。

そして反対すること。
それこそが芸術の根源です。

折口信夫の「鬼の話」から、宮沢賢治の「春と修羅」まで、
とにかく芸術は「反」なのです。
そしてそれは「版そして版画」であるはずなのです。

版画を布地に模様づける方法

永瀬義郎の『版画を作る人へ』の中に、木版を布に摺ることについての記述がある。

版画を布地に模様づける方法
布地に模様を摺って、カーテン、テーブル掛、装幀布などを作るのは中々雅致があるものです。女帯なども無論できるわけですが、広い面積の上に大柄なものを摺ることは染色の方法でないと難しい。芋版で、模様を一面に無造作にスタンプ押しにしても面白いし、インド産の動く石(ゴムのような石です)に模様を彫り、油絵の具で畳摺りにしても原始的なものが出来て愉快です。薄絹の裏打したようなものでしたら、紙を摺るのと同じ方法で、バレンで摺れますが、少々厚い布だと、バレンが利きません。で、全て布に模様をつける場合は、大きな面積に絵を摺るという事を避けて、小さなカット風の模様を一つ一つスタンプ摺にして、うまく案配するのです。あるいは大小三個位の異なった模様を組み合わせるのです。摺りは全て紙のように明瞭にいきません。明瞭でないところにまた面白みもあるわけですが、木版になるとなお一層困難になります。小さな紙入れぐらいのものでしたら、どんな様式の版でも楽ですが、カーテンのような大物になると畳摺りも出来ませんから、平らな台の上へ乗せて、部分部分摺って行くのです。木版でしたら、版木の上に片足を乗せ、全身の重みで圧し摺りにするのです。この圧し摺りにする際は必ず圧し摺りにする部分の布の下に、コルク版か厚いゴム板を敷かないとうまく摺れません。

IMG_1519A3BC: 反戦・反核・版画コレクティブでは布摺りを試していて、それは重要な要素のひとつなのだが、どうしても摺りにムラができてしまう。それもひとつの味になりますが、もう少しなんとかしたい。油性のインクで摺るので、ゴム板は長持ちしそうにないし、コルク板はチップの隙間が浮いてきそうだ。ホームセンターをうろうろしていたら、テーブルの上に敷くようなビニールシートがあった。今下敷きにしているカッターマットよりは弾力がある。ゴム板よりは硬いが、少しは油に強そうだ。試しに少し切り売りしてもらう。週末に木版を布に摺る予定があるので試してみたいと思う。

国境線

borderline「国境線」という油彩絵を描いたことがある。
なぜ国境線をモチーフにしたか、はっきりとした記憶は無いが、ベルリンの壁は壊され、グローバリズムの波が押し寄せ、国境というものが消え去ろうとしているその追憶を描いたのかもしれない。
これまで少なくとも日本では実際に描かれた国境線は無かったはずだが、現在、沖縄ではあらゆる国道に黄色い国境線が引かれているという話を聞く。