戦争の絵を、空襲の絵を描こうと思う。

640px-Tokyo_kushu_1945-4バブルの終焉、湾岸戦争が勃発した時には愛媛の今治で暮らしていて、母方の祖母の出身地の(伊予)大島や能島を巡り、村上水軍について調べていたりもした。なぜそうしたかは忘れてしまったが、仕事以外は和服で過ごした。夏にはアパートのそばの蒼社川の河原で、手で捕まえられるほどのゲンジボタルが舞っていた。その年は豪雨で、川に架かる蒼社橋が流されてしまうほどだった。
湾岸戦争のニュースはテレビで見ていた。小学生時代に浅間山荘事件をテレビで見ていた時と同じ感覚だったのだと思う。浅間山荘の時は子どもだったので、その事件を実感として認識する事は出来なかっただろうし、子どもながらそれは自覚していた。湾岸戦争の映像を見ている自分はもう十分に大人だったのだが、しかしそこで戦争が行われ、街が破壊され、そして多くの人が死んでいることを実感として感じることが出来なかった。だから、戦争の絵を、空爆の絵を描いた。次の年には東京に戻ることになり、その油彩画は松山の実家に置いてきた。今はあるかどうかもわからない。
もうじき、集団的自衛権行使は容認されるだろう。だからこれからしばらくは、戦争の絵を、空襲の絵を描こうと思う。それは集団的自衛権の行使によって行われた攻撃/爆撃の結果、そしてこの国のいつか見た、未来の姿だと思うから。

創作木版画ワークショップのチラシ

7月20日、IRREGULAR RHYTHM ASYLUMで行う「革命的多色刷り創作木版画ワークショップ」のチラシを作りました。

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ワークショップの計画と同じく二版使いました。細かく色も変えてみたものも摺ってみましたが、小細工はあまりしない方が良いようです。多色刷木版も久々でしたが、一つの版に彫ったイメージを油性インクで刷るのとでは、同じ木版画といっても、かなり違ったものだなと改めて思いました。そして、失敗のみが「経験」になるのだなとも。「成功体験」というのは案外気持ち悪く、あまり役に立たないものなのかもしれません。

生のエコロジー

セブンティーン」の猫がいて、15年ぶりに医者に連れて行った。
「エコロジーライフ」というコマーシャルなキャッチコピーがあったが、特に原発爆発以降、「人生のエコロジー」について考えなければならなくなったのだと思う。

産業としての農民美術の成立について 金井 正・著より

 「産業が成立する」と、云うことを、製作品が利益あるように売れるという意味に解すれば、私共はこの質問に対して何とも答えることが出来ない。「安全なる利益」を先に考えるならば、新しい仕事を創めるほど馬鹿らしいことはない。
 ロシア人形をみて「やってみたいな。やってみよう」と最後の決心をするまでに私共を動かしたものは「売れる、売れない」とか「確実な利益」とかいうよりは、もう一つ手前のものであったろうと思う。「人生の自然に根拠をおく仕事」ということの直覚が私共を最後の決心にまで動かしたのだということを今はっきり分かってきた。人生の自然に根拠をおかないような仕事は、それによってどんなに多くの利益が得られても結局それは廃滅するか、又は人生を救い難い堕落に引きいれるかに帰着する。

革命的多色刷り創作木版画ワークショップ

Irregular Rhythm Asylumでは、過去2回、民衆メディアとして、コピー紙や布やTシャツにも簡単に刷ることの出来る油性インクを使ってワークショップを行ってきました。
今回は、墨汁や水彩絵の具を用い、主版と色版の二枚の版木を使った、多色刷り創作木版画のワークショップを行います。

この島の風土に暮らす人々の感性によって興隆し、海外にも衝撃を与えた、浮世絵に代表される多色刷り木版画。
鎖国の終焉、印刷技術の流入/発展とともに忘れ去られようとしていましたが、長く続いた浮世絵木版画の専門職による分業体制を否定した、自画・自刻・自摺に依拠する創作版画運動によって再興しました。
農民美術運動を興した山本鼎の『漁夫』から始まったとされる「創作版画」は、受動から能動へと、表現を民衆の手に取り戻した、近代におけるひとつのメディア/芸術革命だったのです。

表現や権力のすべてを為政者やマスメディアが取り戻しつつある今日、メディアとアートの両側面を包括する「創作版画」制作による表現の復興は、自由で平和な社会の形成に欠かせないものとなるでしょう。

日時:2014年7月20日(日) 15時から(4~5時間)

場所:IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
新宿区新宿1-30-12-302|03-3352-6916|irregular.sanpal.co.jp

参加費:無料(投げ銭制)
制作サポート:上岡誠二(artNOMAD) https://www.facebook.com/seiji.ueoka

必要なもの:
■版木:四つ切り用紙(25.4 × 30.5 センチ)にプリントできる大きさのものを「二枚」用意してください。(シナベニア、朴、桂など、画材店で入手できます)ハガキサイズでも可。
■下絵:自作の下絵などを、版木、紙のサイズより4センチ以下の大きさで用意してください。
例:版木が30 × 22 センチの場合、下絵サイズ26 × 18 センチ
※Irregular Rhythm Asylumにある書籍、DIYグッズからもインスピレーションを得ることが出来ますので、気楽にご参加ください。
版木、下絵に関する問い合わせ: seiji.ueoka(at)gmail.com *(at)を@に変えてください。

■その他
・汚れてもいい服装かエプロン/割烹着
・古新聞紙(一日分程度)

戦争の記憶と表現

WWW (World Wide War)
WWW (World Wide War)
油彩で三角をいくつも描きながら思ったのは、今のアートには戦争の記憶が無いのではないかということだ。ウォーホールのカラフルな作品にさえ戦争の記憶は深く刻印されている。自分自身はもちろん戦争に行ったわけではないが、学校や生活、本やマンガで、戦争について常に聞き、触れ、考えてきた。母親が学徒動員で、体育館と校庭であの「風船爆弾」を作っていた話などは、つねに頭の片隅に浮かんでくる。いまの若い人たちが、戦争の記憶を持つ作品を作ることなど二度とないほうがいいが、記憶を持つ表現者はその記憶が刻まれることを嫌がったり、ごまかしたり、消したりしないほうがいいのではないだろうか。

創作版画運動 ①

漁夫7月のIRAでのワークショップは、禁断の多色摺り木版画ということで、「創作版画運動」を改めて調べてみるとこれまた面白いです。
山本鼎が明治37年に雑誌「明星」で発表した『漁夫』が自画・自刻・自摺による「創作版画運動」の記念碑的作品ということなのですが、山本鼎はその後フランス留学し、その帰路に立ち寄ったモスクワで、児童想像美術展と農村工芸品展示所を観て、自由な美術教育と農民美術運動の必要性を感じます。鼎自身は制作に専念したいと、親や知人にやってもらえないかと持ちかけていましたが、「お前がやれと」いうことになり、一念発起、画業はおろそかに、実家のある長野上田で「農民美術練習所」を開講したり、「創作版画運動」、「自由画教育」などを始めました。
鼎の携わった運動はプロレタリア芸術運動とは一線をおいた、政治/政党的ではない、芸術による民衆革命を目指していますが、どちらの運動にも関わったり、行き来した画家や版画家もいます。また、大杉栄の肖像画「出獄の日の0氏」を描いた、上田出身のアナキスト画家、林倭衛の良き理解者であったり、山鹿泰治らとともにエスペラント運動を推進した竹内藤吉が「農民美術練習所」のスタッフとして、製作と教育を行っていたこともあるようです。

※自由画教育の一環として、サクラクレパスの「クレパス」の考案も行っています。鼎らの作った「日本版画協会」の木版画の重鎮たちがサクラ水彩絵の具を愛用していたのはそういう経緯からかもしれません。

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20年前位に作ったエッチングを見つけた。作った当時はあまり良くないと思っていたが、久しぶりに見てみると、(まだ中途半端な版の上に、ためし刷りで、刷りは良くないし、保存も良くないので染み付きですが)当時思っていたよりも悪くないと思った。直後は自分自身と作品の関係が密接すぎるのか、まだ商品としての作品ということを考えていたのか。版が残っていたら少し手を入れて刷りなおしてみよう。(持っていた小型のエッチングプレス機を人にあげてしまったので、さてどうやって刷ろう…)

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(エッチング・アクアチント)