山頭火を生きる:二月廿八日

芸術は誠であり信である、誠であり信であるものゝ最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであろう、澄太や一洵にゆつたりとした落ちつきと、うつとりとした、うるほひが見えてゐて何かなしに人を動かす力があるのはこの心があるからだと思ふ、感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろう、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。

種田山頭火『一草庵日記』十月八日、最後の日記

変なことを思いついた。

種田山頭火終焉の地「一草庵」が山裾にある御幸寺山は子供の頃の遊び場だった。夕暮れ時には「一草庵」の庭を通って帰っていた。
今日、なんとなく山頭火を読みたくなり、青空文庫を覗いていた。
五十歳から始まった『其中日記』には、自分と同じ歳の今日の日記もあるはずだと探してみた。

二月廿八日

片手の生活、むしろ半分の生活がはじまる。
不自由を常とおもへば不足なし、手が二本あつては私には十分すぎるのかも知れない、一つあれば万事足る生活がよろしい。
街へ米買ひに、――食べずにはゐられないことは困つたことだ。
身辺整理、――遺書も認めておかう。
樹明君が病状見舞に来てくれる、酒と下物とを持つて。
死を待つ心、おちついて死にたい。

鳴きつゞけて豚も寒い日
・何やら来て何やら食べる夜のながいこと
もう一杯、柄杓どの(酔ざめに)
・月がぱち/\お風呂がわいた
夜ふかうして白湯のあまさよ
追加
乞ひあるく道がつづいて春めいてきた

しばらく左手が調子悪かったらしく、なんだか死を覚悟して準備をする気になった日らしい。で、思いついたのは、このブログに日記として山頭火の日記を転載してみるという、ひどくつまらないことに思えるのですが、「所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にありえない」ということで、とにかく始めてみることにします。今日は片手が動かずつらい一日でした。

次の日記は三月一日です。

雪の下の蟹

今回の大雪は懐かしい感じがした。生まれ育ったのは四国松山で雪が積もることは殆ど無い。記憶を辿ると、古井由吉「雪の下の蟹」を読んだ時の感覚だと思い当たる。好きな小説だったと思うが、主人公の男が雪に閉ざされた金沢で、毎日雪かきをしているという事以外思い出せない。安倍公房の「砂の女」に似てたような気もするが、違っていたかもしれない。再読してみようと思う。