魔法使いの弟子

2015年に出版されたジョルジュ・バタイユ『魔法使いの弟子』定価520円のその小冊子はバタイユと結核で死にゆく恋人「ロール」との愛の世界のエクリチュールだ。景文館書店から発行されたその表紙にはなぜかキリンジのスウィートソウルのPVのカットが使われている。キリンジのことは何も知らないし、なんとなく使ったのかとも思えるが、ゆっくり聞いてみたいと思う。

偶然の《恐ろしい》王国に背を向ける大衆のことを考えると、たちまち長い不安の中へ落ちてしまう。そうなるのはもう抗いがたい。じっさいこの大衆は、安全に確保された生が、そのまま妥当な計算と決断にだけ依存するようにと求めているのだ。恋人たちや賭博者たちは《希望と恐怖の炎》の中で燃えあがりたいと思っているのだが、そのような意欲を失った人々からは、あの《ただ死とのみ拮抗する》生は、遠く離れていく。人間の運命は、気まぐれな偶然が事を図るのを欲している。これとは逆に、人間の理性が偶然の豊かな繁殖に代えて差し出すものは、生きるべき冒険などではもうなくて、実存の諸困難へのむなしくて妥当な解決なのだ。何らかの合理的な目的に関わる行為は、奴隷のように耐え忍ばれた生活の必要性に向けて打ち出された答えでしかない。逆に、好運の魅惑的なイメージを追い求める行為こそ、唯一、炎のように生きる欲求に応えているのである。 ジョルジュ・バタイユ