無産階級の画家 ゲオルゲ・グロッス

     序

 いま、粗雑ではあるが西欧独逸の革命的画家、同志ゲオルゲ・グロッスの研究の書の一部を、漸く世に送ることができる。
 グロッスのものを纏めることをわたしが約してもう五六年の時間がたった。そのあいだに、グロッスの魅力は国境を越え海を渡って、あらゆる国々のあらゆる美術家の中へとけこんで行った。彼らの画ペンの先からは世紀末的な変態美、いわゆる「グロッス型」が滲み出るようになった。やがてこれは我らの陣営の中までおしだしてきた。そうして私は氾濫するこの流れに多くの優秀な分子のさらわれていくのをさえ見つつきた。資本主義一般の膿瘍を暴きさらして余りなかった勇猛なる彼も、今日は資本主義の癌瘙を刺す手で、歴史の堤防を突き破りつつある。運動の流れが創設期に向かっている現在の瞬間、正しい流れの堤防を破壊するこれらの否定的要素は濁流に浮かして運動の外へ排除せねばならない。一応は進歩的役割をはたした彼等も現在では彼等の意思に反して最早反動の役割をなしつつあるから。私が運動の流れのためにこの「グロッス型」の分析を試みようとあせりだしてからもう三年になろう。めまぐるしい運動の流れは容易に私にこの仕事をさせなかった。だが全体の意思はいま私に、たまたま満蒙の旅次の寸暇を蓄めさせてこれの一端をなさしめた。
 私はグロッスの研究の書を大凡三つの部冊に分けることをもくろんでいる。第一のものが本書で、ここでは私の一寸した批判的な概念を織り交ぜながら先ず西欧の諸家にグロッスを語らせ、そしてグロッスへの一般の輪郭的関心を喚起させようとたくらんでおいた。第二のものではもっぱらグロッス自身の言葉によって彼の世界観、文明批評、芸術観を開こうと思っている。そのため本書では出来るだけグロッスへの言葉の引用を避けておいた。第三のものは私のグロッスに対する厳密な批判と分析に終わりたいと思っている。
 以上これらの三部冊を私はある目的意識性のもとに書き綴っていきたいと思っている。我々の前にいま個人の存在はさして問題でない。我々全体の効利をねらうために一つの個は銃口の台尻となって対象へのモメントに役立つに過ぎない。即ちグロッスの研究がそれで、私はグロッス個人を借りてきて、我々の陣営内に肉迫してくる又は潜入している、数知れない敵の小市民的要素をねらいうち、警戒しひねりつぶしてしまいたいと思っている。だがこいつは中々執拗で巧妙に潜在せる敵である。

 それ故グロッスの研究もこれらの素材として出来る限りこれを厳密に調べたいと思っているが、無学と多忙の私にそれは期し難いと思う。そのうえこうした仕事は私個人のものではない。最初に出ささる本書の上でも色んな点で不備だらけだ。第一挿画の蒐集がばらばらで失敗している。グロッスの全貌を覆うにはもっともっと異面の仕事が取り残されている。第二に付録の形式で入れる予定となっていた彼の仕事の年代表――画および文による彼の著書や雑多な形式を通して個別に発表される彼の仕事と機関と時――が私の旅行中資料の欠けていることと調べの甚だ困難なために後へ回すこととなったこと。その他いろいろ。だがこれらはいずれ諸兄の助力をまって遂時第二第三のものの中で追補し完全を期するものである。

 グロッスを想いつつ、旅先で溜まったブルジョア新聞を見ていると、彼とよき対象をなすところのブルジョアの使徒、藤田嗣治さんの在仏自伝記がのっかっていた。グロッスと国境をはさんで仏蘭西義勇軍に志願した彼の文を私は面白く読んだ。
 ここにはどの画家でもがかわいいい幻をたのしむ芸術の都巴里での「ほがらかな貧乏」の中の「苦難と努力」と「飯のおかずにパンを食った」生活記録が書かれ、この中にあって一抹の望みを「一朝成功すれば一日にして城を築き、一夜にして宮殿を構える」ことにかけて、困苦と戦いつつ遂に「秘密のカギを握って」「道の真ん中でデングリ返り」「毛唐め、くやしければ貴様に出来るならやってみろ、どうだ、出来ないだろう」と「極少しの絵具を滑らかに使って生かした」「白と黒の心描を試み」、この奇術の成功に小躍りした彼は「会心の笑み」をたたえ、さてモウロウ美術家大衆にインギンに秘伝を授けて言うよう。「画家は例えば一銭の紙、一銭の安い布を、万金に値するものとする、我々は手品を画架の上にしなければならない。」これこそ一般美術大衆の唯一の信条であり、彼こそは彼等日本の天上雲行者のコウゴウしき先達である。
 まことに勇ましくありがたきことです。

 かえりみて、我々はブルジョアの遺物いっさいを精算したであろうか?否我々陣営の一部分は依然としてサロンの壁飾りの上に逡巡している。そこに低速たな引くものは工場地区の煙ではなくてブルジョア共のシガーのくゆりなのだ。海綿の無政府主義的幻想に時を過ごすな。地に下りよ。現実を見る方法をとれ。而して地の流れに真実に結びつけ。そこで地上一切の相続権をもっているプロレタリアートの、開放への日常闘争の中に正調に作品を組織せよ。ここでのみ総ては具体的作品行動のうえに弁証法的統一的に、成長するプロレタリアートの血と肉となって解決されるであろう。
 いま我々の陣営内でシャベリ合っている「内容と形式との結びつき」に於ける課題もかかる生きたる運動の流れに投げ入れてこそ初めて現実の問題となり得る。実際我々は問題を常に現実の流れの中に於いて唯物弁証法の不分離性の中に老いて解きつつきたったのだ。
 現在の急迫せる転形期にあって我々はもはや取り澄ましたモニュメンタルな形式的芸術的肉づけにうちふるっていることは出来ない。現在の我々にとっての生きたる緊要な具体的問題は、芸術を手段として「階級闘争の矛盾の激化の定式」を宣伝煽動する仕事の必要である。
 私はグロッスの研究によってグロッスの古き遺骸の上に刺し開けた通風の穴から同志諸君にこれを告げる。
 またかかるのちに初めて新しくプロレタリアートの中に生きるわれわれのゲオルゲ・グロッスを見ることができよう。
 私はここで両手をのべて、さらにかたく、日本プロレタリア美術家同盟の諸兄と、同志ゲオルゲ・グロッスに握手する。

 本書出版を契機に親交を結び得た私の快友小林勇は今頃私と共にグロッスの行衛をさがしあぐねていることであろう。月余に至る監視付きの病褥からしばらく抜けて取り急ぎ私はこの序を書き添えて送る。小林兄に本稿の遅れたことを重ね重ねてお詫びし、本書挿絵の製版に尽力されし●練繁太郎氏に感謝する。
     一九二九年一〇月二〇日金州にて 正夢 

(●は文字不明)