民衆芸術運動(5)

神田で4ヶ月、谷中で10ヶ月ほど営業した簡易食堂「へちま」だったが、妻が過労で倒れることにより、望月は閉店の意を決める。一年あまりの営業であったが、安い飯、集える場所、そして印刷の技術を持つ芸術家の店主、「へちま」は当時の労働運動、社会主義運動にとって、格好の拠点となった。
1916年10月、へちまの常連で、キリスト・社会主義者の久板卯之助が一般の労働者に向けた機関紙「労働青年」を刊行する。発行所や印刷所がへちまや望月の家になることもあった。望月はこの冊子の中で、民衆美術論とその運動を展開して行く。1917年2月に執筆し、1917年3月の「労働青年」で発表した「平民芸術論」、その主張に基づき、すでに2月には「平民美術研究会」を、翌月には芸術運動の実践を行うべく「平民美術協会」を立ち上げ、「労働青年」にも告知広告を掲載する。

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「平民美術協会設立」

世に平民美術の神聖を自覚し必要を感ずる以上、一種の専門家たる美術屋の手の独占せしめし現今の美術を、一般民衆の手に帰して其光輝ある真正の実を挙ぐ可き要求が生じてくる。茲に同志相謀って平民美術協会を創立せし所以にして、その宣伝普及の為具体的実現に着手せるもの也、切に同志諸君の御協力あらん事を希う。
不取敢目下の事業の次第左のごとし。

美術研究所開設
研究員は職業年齢男女を不問、時日は毎週日曜日開催の事。会費は一回金十銭也
平民美術講演会
適当なる時季を選びて開催する。
平民美術展覧会
毎年十月、於東京開催
純美術品の分布
木炭画、油絵、彫刻其他希望に随い便宜を計る。売額金一円以上
応用美術の作成
意匠、図案、印刷、楽焼、美術人形

其他平民美術に関する問題は一切御相談に応ずべく候
東京市下谷区谷中坂町二一 平民美術協会 幹事 望月桂

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