民衆芸術論|加藤一夫

 民衆芸術の意義

 昨年の一月頃から民衆芸術ということがちょいちょいと論議された。しかしその多くは民衆芸術を熱心に主張するのでもなく、もとより具体的に民衆芸術を提示したのでもない。そして昨今に至っては、何でも人の言い出した事にはケチをつけたがり何か新しいものをものをと、内心からの必至の要求でも何でもないのにズンズンと駆け足をして行くのが好きの我が文壇においては、民衆芸術がまだほんの試みだけにしか過ぎないのに、早くもこれに向かって非難の声をあげる者すらある様になった。殊に詩壇に於ける論調は著しく我々に反抗的であるように見える。詩壇にまで及んでいる「人道主義」の埃だとか、教養のない知識を排斥する者だとかいったような毒言を放っているものさえあったように記憶する。(しかし自分はそういう人に言いたい。諸君はあまりに自惚れてはならない。あまり他を排斥してはならない。一体諸君の教養とは何を宿していうのか。なるほど民衆芸術家の詩はガサガサして濁音にきこえるかもしれない。教養された諸君の官能はそれに耐えないかもしれない。しかしながら諸君はあまりに自己に対して無反省であってはならない。民衆芸術家から見れば、教養されたという人々のデリケートな官能の、真の生命にふれてこない遊戯的な分子に耐えきれなかった故に、今一度出立し直して、本当の人間性が有する真の世界に飛び込もうとしたのに相違ない。諸君のいわゆる人道主義的埃や濁音はやがて民衆芸術家の芸術の成長と共になくなり、諸運もまた公平な眼でこれを見ているなら、知らず知らずそれを不快なるものと感じなくなる時が来るに違いない。)
民衆芸術の提唱と実行とは、今より既に四年前、自分が「科学と文芸」を発行した当時からの自分の考えであった。その頃の「編集室より」を取り出して見てくれるならばその事において自分がいっているのを見出されるであろう。ただ自分の生活の逼迫と創作に力を尽くす時が殆どなかったのとので、自分はついこの考えに裏付けるような創作のただの一篇も成すことが出来ないで過ごしてきた。そして自分にも幾分創作をする余裕が与えられるようになってきた。そこで自分は、今はもうぐずぐずしている時ではないのを知って、昨年の秋頃から、多年の宿望であったこの民衆芸術の方面へと突進したのである。それ故に、自分としてはこれは当然の道ゆきであり、自分に即した「科学と文芸」としても当にしかあるべき運命を拾ったものといわねばならぬ。
 我々の声は余りに小さいかもしれない。我々の芸術は余りに貧弱であるかもしれない。しかしながらこの声は単に我々一部のものの声でないことを我々は知っている。これはまさに人類そのものの声である。新たに勃興せる生命の心の叫びである。そしてまた我々の芸術が、今いかに貧弱であり幼稚であろうとも、じきにそれは、全人類の胸の奥底において共鳴を見出すべきものなるを我々は信ずる。こういったとて、我々は威張ろうとするのではない。ただ我々はそういう信仰をもっているのである。
 とはいえ、不完全なる脳の持ち主である人類の仕事は何でもそう初めから完全であることを得ない、古来、多くの運動は最初随分滑稽を演じた。ただ、そうしているうちに、時がそれを成長せしめた。我々の考えや、芸術もまた、後になってこれをふりかえって見るときには定めし幼稚なものであろう。我々は芸術の完成を期さねばならぬ。それ故に、今ここに民衆芸術の真の意義について考えることは必要である。

 本質の上からいって、我々の主張する民衆芸術はなんら文芸上のイズムではない。これはあらゆる種類の流派のうちの真なる芸術を抱擁する。真の人間性にふれ、真の人間性を芸術上に表現し、もしくは開放した芸術をいう。これは人の芸術活動の範囲を狭めるものでなく、無限の拡大である。束縛でなく自由である。何となれば我々は我々の芸術を真の人間性の上に据えつけるからである。そしてその人間性はそれ自身において自由であり、変化無碍だからである。

 「民衆は何処に在りや」(これは大正八年一月の新録で発表した)の一篇において自分は、民衆とは芸術とか労働者とか貴族だとかいったような外的な区別によって生ずるものでない、真の民衆とは、真の人間性に目ざめ、人間性に即した生活をなす者のことであるのを言っておいた。また「民衆運動即自省運動」においては民衆運動とは即ち、人間をしてその真の人間に生かしめんがために、各自を自省更生せしむる事であるのを言っておいた。そして、我々の民衆運動もまた、この真の人間性をおいて他にないのである。
 われわれは人間性の永遠を信ずるのである。我々は人間性の自由を信ずるのである。
 しかしながらここに注意しなければならなぬのは、我々は単に「人間性」と称すとはいえ、これをもって単なる抽象的名辞と考えてはならないことである。我々は抽象的な「人間性」の存在を信じないのである。人間性といえば必ず具体的実在でなければならないのである。
 たとえば、時代だとか、境遇だとか、民族だとか、人間だとかいう者と無交渉に独立せる人間性の存在する事はないのである。人間性は本質においては単に一つの傾向に過ぎない。もしくは衝動に過ぎない。それが我々の世界に実存するためには、必ず今いったような諸要素と結びつかねばならない。結びついた時初めて具体的実在となる。
 人間性は決して固定せる或る一定の型ではない。否、それが固定し形式化せんとするとすぐにまたそれから自己を解放せんとする。それ故に人間の歴史はある意味においては全く解放の歴史であるといってもよい。解放から解放へ、恐らく人間の歴史がその解放の運動をやめる時がないであろう。何故なれば人間性はそれ自身絶対の自由だからである。我々の日常の生活においてすら、我々の言語や動作や思想発表や芸術や政治やすべてみなこれ我々の裏に在る生命の、もしくは意識の、解放に他ならないからである。それ故に人間性は常に成長し進歩し進行するものである。そして、それ自身を踰えざる無究竟の変化である。そうだ、人間性は進歩し成長してきた。然らば、今は果たして何を最も多く要求しているか。
 人間性は今、最もよく自己の尊貴を自覚した。彼は自己のうちに、自己を生み自己を育て、自己を愛し、自己を赦し、自己を鞭打ってくれるところの神を見た。かくて彼は自己のうちに人間神と神との融合を見た。彼は幼稚なる個人主義者のように、他の物や他人を顧みることなくしてひたすらに自己の運命をのみ考えない。彼の自己は個人主義者の自己とは違っている。――個人主義者の自己は今、彼の自己にまで成長したのだ。――その自己とは即ち、他の一切と(単に人類とのみいわず)、彼の世界の一切と無関係に孤立的に存しない。彼の自己は他の一切と有機的に依繁する全一である。かくてその本質において絶対に自由である自己は同時にまたデモクラティックな存在である。そしてここに新人間性の要求がある。彼は即ち自己の自由を要求する。強制的なる他のいかなる権力の支配をも排斥する。徒に個人としてそうであるばかりでなく、一つの社会としても、階級としても、民族としても、常に要求するものは自由である。自分の事は自分でするという自由である。同時にまた、他人の事に干渉しないという尊崇と愛とである。自己の尊貴と共に他人の尊貴をも信ぜんとする態度である。
 しかしてこの自覚は、当然の事として、今まで踏みつけられ抑えつけられていた階級の間に強烈に起こるべきである。生命の新しい自覚は、今やこれらの階級を通じて、その新しい世界の創造を企画している。
 民衆芸術とは何を意味するか。本質的な、または絶対的な言い方をすれば、それは正しく真の人間性にふれ、真の人間性に即した実感や世界を写したものといえよう。この意味において民衆芸術は全包括的である。しかしながらこれと同時に、抽象的な人間性の存在を信ぜず、具体的な人間性の表象を求むる時には、当然その表象される人間性の性質の如何によって定まるべきものである。そして我々は以上述べてきたようなこの新しい世界の創造に参与せんとする新興民族の思想や感情を表現する芸術をもって特に我々が今要求する民衆の芸術というのである。(しかし、その他の一切を排するのでない事は前にも言った通りである。)

 ヒロイズムの時代は既に過ぎ去ったのだ。特権階級の時代もまた過ぎ去ろうとしている。今日は最早ナポレオンの出現すべき時でない。たといドイツ皇帝が新時代のナポレオンを夢想しても、そしてドイツが今回の戦争に勝利を得るようなことがあっても彼はついに現代のナポレオンたる事を得ないであろう。目ざめたる民衆の勢力は、たといその個々のものは無知であり無力であっても、全人類の胸から胸へと押しよせ押しよせ、巻きころがって行く生命の大潮流としては、何者の障碍にも阻まるることなく進んでゆくべきものである。
 今までに民衆はおもむろにその自己解放を実現奴隷はそれがために廃せられ、専制主義はこれがために打ち砕かれ、ローマ法王の地上絶対権は蹂躙せられ、独断神学の暴威は砕かれた。そして今回の戦争は恐らく、民衆を踏み台としている者の野心に、甚大の打撃を与えるに相違ない。世界は今まさに一つの大回転を行おうとしている。古い者の時代は逝き、新しい民衆の時代は来ろうとしている。その時代は恐らく、民衆が各自に自己を処して行って掣肘を被らない自由の世界であろう。征服だとか、略奪だとか、権力の伸展だとか言うようなことはなくなるであろう。しからば我々が芸術の世界においてこれを求むるのに何の不都合があろうか。
 しかし誤解してはならない。
 我々はこれによって政治的民主運動をなそうとするんではない。もとより革命の気運を欲するのでもない。今もし日本に革命が起こるような事があったとしたら、いち早く我々はそれに反対する。我々はロシアの勇猛に感心しても、その後の形成は、まだまだロシア民衆の新世界への準備の足りなかったことを説明している。しかもロシアが今日に至るまでは殆ど百余年の日子を費やしている。ロシアの文芸に親しんだ者は誰でも容易に看取する事が出来ることは実に、革命の後にロシア文学の発したる宣言書にも記しているように「ロシア文学が常に社会的講座であったということは何人も疑わないところである。そしてその講座からは絶えず教誨指導の声が響き、その声は常に社会的活動と自己犠牲とを喚起した」ことである。それでいてなおこの通りである。我々の目的とするところは政治的行動でない。
 我々はまた、我々の芸術においてただ単なる反抗を試みようとするものでない。我々は我々の小説において社会問題を取り扱うことがあるだろう。政治問題を取り扱うこともあるだろう。けれどそれをもって直ちに主義の宣布とはしない。我々はもっと冷静に物事の真相に触れたい。静に社会を解剖し自己を解剖したい。

 ドフトエフスキーはロシア作家のうちでも最も深い民衆の味方であったろう。けれども彼は決して民衆を扇動しなかった。彼はただその測り知るべからざる愛をもつ民衆を観た。そして、おうめられ傷つけられた民衆から真のよき人間性を掘り出した。
 我々の最も欲するところもまたこれである。民衆の心をもって心とし、民衆の思想として、手として、我々は彼らのうちに隠され掩われ傷つけられた人間性を掘り出そうとする。そしてまた、どうしてこの真珠が傷つけられ掩われ汚されたかを素人する。そこに社会的環境の解剖の必要が起こるであろう。
 我々はどれだけまでにこれを我々の芸術に実現し得るかを知らない。しかしこの精神をもって進んでいこうと決心している。現代の文壇においてでも、また、まだ文壇に表れざる我々よりも若い人々によってでも、真の民衆芸術の提供される日を熱心に待望している。

—————— 七年・三月 ——————