緒 言
プロレタリア文学の勃興するや、マルクス主義文学理論は雨後の筍のように刊行されたが、アナアキズムの文学論は殆ど出なかったように見える。アナアキストが文学論を書かなかったのではない。しかし、マルキストだけの体系的な理論が創成されたとは云えない。それ故に、アナアキズム文学理論の樹立は目下の急務でなけれはならぬ。プロレタリア文学はマルクス主義の独占すべきものでないからである。
アナアキストはその文学を持って居ないのであろうか。そんなことはない。今日のプロレタリア文学のうちにアナアキスティックなものは決して少なくない。今日勃興しつつある農民文学の如きはタイ部分アナアキスティックなものである。而もそれはなお未だ確固なる理論を持って居ない。かくてアナアキズム文学は萎徴として振るわず、一般人も亦、アナアキズム文学の何たるかを知ろうとしてもそれを知るべきものを持たない。
そこで私は、その欠陥を補おうとして、クロポトキンの芸術論を彼の全著作中より抜粋して見ようと志した。ロシア文学について優れた理論を見せたクロポトキンが正しき芸術観を持たない筈はなく、それを土壌として目下必要とするアナアキズム文学理論の建設に資するところ決して少なからずを信じたからである。この小編が我が文学界に何等かの貢献をなし得たならば編者の満足は此上ないであろう。
本著の編纂には麻生義君の努力に俟つこと多大であった。そこで一つはそれに対する感謝の念もあり、一つは同君のクロポトキン芸術論に対する深い理解によって本書が正しく読まれんことを望むところから、同君の論文を巻尾に付録として印刷した。初めの部分を読まれた方は同君の文章をも味読されんことを希望する次第である。
昭和六年二月七日
加 藤 一 夫
目次
序
青年芸術家諸君
贅沢の必要
中世自由都市の芸術
芸術論断章
(1)芸術の堕落
(2)御用芸術
(3)大胆に描け!
(4)機械の詩
(5)リアリズムについて
(6)子供の芸術趣味
(7)「二十戦銀貨の話」
(8)フランスの民衆的作品
(9)文章とアナーキズム
(10)ツルゲーネフと私
ニヒリズムに就いて
芸術と分業
クロポトキンの芸術論に就いて