藝術と地球環境

大地と藝術

藝術の根源ー中国と日本

 大地と藝術の関係を再認識するとき、環境と藝術の深いつながりに気づかされます。 ここで「藝」という漢字を見てみましょう。くさかんむり、りく、まる、うん。で出来ています。これはどういうことかというと、うん。これは、気をあらわします。気とは命のもと、たましいのようなものではないでしょうか。りくとまるで、これは地球を表します。草冠はくさ。地中から表面の殻を破って現れるものです。藝術とは、大地の気を草を育てるように表現することではないでしょうか? 実は、辞書にはこのような「藝」という文字の考え方は載っていません。なるほど「藝」の文字ができた時、地球が丸いものだということは、多分誰も知らなかった。実は最初に世界を1周したのは中国の船だったということが、最近の調査で分かってきている様ですが、それでも「藝」の文字の完成からは、ずっと後になってからのことになっていると思います。漢字辞典には、「藝」の文字は、勢いという文字に草の名前の芸(うん)という文字を足したということになっています。勢いは草を植える人の見かけを表しているそうです。日本の当用漢字の芸は当て字で、芸(うん)という文字は特定の草の名前(ヘンルーダ)を表します。「藝」は植物を植える事を云い、伝えられるべき技術の意を表すとされています。しかし、漢字の起源のような古い時代のことは、辞書に書いてある事も、分かっている事のみから導きだされた憶測にすぎないということを、猜疑心という意味からではなく、頭の片隅において「藝」について考えてみて下さい。宮沢賢治の詩、「春と修羅」のなかに次のような一節があります。

記録や歴史 あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじているのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相当のちがった地質学が流用され
相当した証拠もまた次々過去から出現し
みんなは二千年ぐらい前には
青空いっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるひは白亜紀砂岩の層面に透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
——宮沢賢治『春と修羅』 宮沢賢治詩集 白凰社 *初本 大正十三年 自家本

 賢治はここで、この現実世界の、特に情報の、あてにならなさ、たよりなさについて描いています。そして、そのあてにならなさ、たよりなさから「青空いっぱいの無色な孔雀」「きらびやかな氷窒素」「白亜紀砂岩の層面に透明な」といった、とても美しい表現を導きだしています。ものの、あてにならなさ、たよりなさには、秘めたるものがあるのです。いまあるものをいまあるかんがえで観るのではなく、そこからもっとすてきなものを見つけること、引き出すことも、藝術の役割のひとつだと思います。

 漢字は中国のものですが、日本では藝術というものはどこから出てくるものなのでしょうか。  折口信夫の「鬼の話」のなかに次のような一説があります。

 此形は、あまんじやくが何でも人に反對すると言ふ事に殘つてゐる。あまんじやくは即、土地の精靈で、日本紀には、天ノ探女(アマノサグメ)としての其話があり、古事記や萬葉集にも見える。やはり、何にでも邪魔を入れる、という名まへであらう。神々が土地を開拓しようとする時、邪魔をするのは、何時も天ノ探女である。即、土地の精靈なのである。此天ノ探女は、實に日本藝術の發足の源をなしてゐるものである。其爲事は、 一 ものまね→藝能(舞踊) 一 人に反對すること→狂言(おどけ) 即、日本の藝術、尠くとも演藝の發生を爲すものである。
——折口信夫『鬼の話』 折口信夫全集 第三巻 中央公論社 *大正十五年、三田史学会例会講演筆記

 日本の藝術の根源は土地の聖霊であることがここでは語られています。日本の古代の環境運動は藝術をもって成されていたのです。たしかに今のアーティストも「あまんじやく」はたくさんいますが、そのたましいは「土地の精霊」であることなど忘れてしまった人たちが多いかも知れません。また、絵の具が鉱物や、草木。彫刻が木や石や粘土、溶かした鉱物で出来ていることも、根拠のない事ではありません。あたりまえといえば、あたりまえのことなのですが、あたりまえのことにはそれなりの理由があるものです。その理由とは、藝術は大地から生まれるということに他なりません。

美術史

 それではどうして、藝術はその根源を見失いかけているのでしょう。ここで、「大地」の視点から、美術史を見直してみます。原始美術は、呪術で使用されるために制作され、主に豊穣祈願のため、神への贈与・供物として、使用されました。「霊媒ーメディア」としての藝術のはじまりです。古代において、藝術は大地の魂と人間との関係の上に成り立っていましたが、脱土地的な仏教やキリスト教ができることによって、依然、創作の原点は原始宗教の精神をもち、そして脱土地的な宗教はそれを禁じているのも関わらず、かえって強力に藝術作品は、フェティシズム的な偶像崇拝の対象としての役割を担うことになります。たとえば、縄文の土偶のように、そこに宿した豊穣の魂を現世にもたらすために破壊したり、死者とともに埋葬する。といったような行為はなくなり、寺院や教会など、特別な場所に安置するために作品は制作されるようになりました。ルネッサンス期に、原点(神話)への回帰の試みがおこなわれましたが、古代世界への憧憬にとどまり、その後、そのときに出来た破れ目から、バロックが噴出します。バロックとは「ゆがんだ真珠」を意味する言葉で、ルネッサンス期において遠近法や黄金率などを駆使し、人間によって理想化され、無毒化されることにより、封印されていた精霊が歪んだ表現となって世界を巡り始めます。この絢爛豪華で多様性に富んだバロックに対して、アカデミーによる強力な規制、押し付けのもとに、いわゆる新古典派といわれるルネッサンス様の藝術が奨励されます。しかし、一度封印を解かれた精霊は強制によって押さえられるものではありません。ドイツでは、ゲーテなどにより精霊の復権が語られることにより、ロマン派が出てきます。それは現実よりも、夢や幻想や無意識に重点をおいたものでした。ある安らぎと独立をここで藝術は獲得します。しかし、同じ場所で、藝術は藝術至上主義という袋小路に入り込んでしまいます。藝術至上主義は教会や国家などの権力の及ばない場所に藝術を連れ去りました。その幻想の国家では藝術家は真理を創造する英雄です。そこにさえいれば、藝術家は神にさえなることができました。それは他との関わりを拒絶した、硬い結晶のような藝術です。その反動として、自然主義的なリアリズムや新しい科学を応用した印象派による現実世界への復帰が試されます。世界を多面的に捉えようとしたキュビズム、それを進展させた抽象(アブストラクト)破壊的なダダイズムやシャーマン的なシュールリアリズムも閉鎖的な状況からの開放の一つの方法でしたが、藝術至上主義時代の英雄的な雰囲気から抜け出すことはありませんでした。そのような時代潮流のなか、副水流としてウイリアムモリスや、日本では柳宗悦らによる民藝運動が始まります。牧歌的・ユートピア的な社会運動としての藝術活動です。藝術至上主義と同じく、それは理想主義的なのですが、民藝運動には、名もない民衆が主体であるという意識が強く働いていました。アールヌーボーやユーゲントシュティルといった、ロマン主義、象徴派とつながりをもち、バグハウスの創立に至るなど、一世を風靡しましたが、それは大きな流れに至ることはありませんでした。これらの実験は、機械の中の幽霊を作り出したり(未来派)、あるいは、理性的なゲーム(アヴァンギャルド)となり、諧謔的にではありますが、資本主義と強く結びついたポップアートや、アンフォルメル、ネオダダ、ハイパーリアリズム、ミニマリズム、コンセプチュアル・アート、オプ・アート、エア・アート、ビデオ・アート、ニューペインティング、インタラクティブ・アート、、、雨後の竹の子のように次々と新しい主義、様式が飛び出してきました。20世紀には、それらはめまぐるしく資本とともに世界を回りつづけながら、社会に影響を与えつづけていました。しかし、すべてのものが商品として数値化され、さらに、数値化されたものでさえ商品になってしまう高度資本主義、市場主義の現在にあって、その存在意義は失われ始めています。しかし、残念な事に、この市場主義というものほど、人間の自由を謳歌できる社会はまだありません。現在、藝術は、その手に汗を握る程の数値(為替や株価)の変化に日々対応していかなければならない現代人の「癒し」の道具として、その存在をなんとか保っているように思えます。大きな流れ=世界的な潮流とはならなかった民藝運動はそれぞれのコミューンのなかで、藝術の始まりであるその魂とともに、静かに息づいていました。民藝運動も現代藝術の影響を受け、たとえば、アースワークのような新しい表現も試みられています。それらは制作されると同時に大地にかえっていくような、藝術の本質に回帰するような作品です。日々、進行する自然破壊の反動として、これらの作品は強力な自然回帰を求めています。しかし、あまりに強力な自然回帰は人の立ち入る事の出来ない聖域を作ろうとします。その結果、それらの作品の有り様が閉鎖的なものとなってしまい、その「メディア=霊媒」としての最も大切な藝術の役割を果たすことができません。いま、ここで藝術の根源に立ち返り、まさにその場所から、新しいものを生み出していく、そんなことが本当に必要な時期にきているのかもしれません。このような状況を予感していたかのような言葉を、M.ハイデッガーは「藝術作品の根源」のなかで述べています。

 われわれは自分自身の現存在において根源の近くに歴史的に存在するか。われわれは根源の存在を知るか、すなわちそれを尊重するか。さもなければ、われわれは藝術に対する自分自身の態度として過ぎ去ったものについての教養的な知識をわずかにもちだすだけなのか。
——M.ハイデッガー『藝術作品の根源』 平凡社 *初本「杣径」収蔵 一九五〇年(昭和二十五年)

[保蔵する]大地と[空け開げる]世界

 M. ハイデッガーは同じ本のなかで藝術作品に関して、

 作品がそれ自体を立て返すところ、そして作品がそれ自体を立て返しながら現れてこさせるものを、われわれは大地と名づけた。大地は、現れてきつつー保蔵する[dasHervorkommend-Bergende]ものである。大地は、何ものへもせき立てられず労苦なくー疲れをしらないものである。大地に向かってそしてそれの内へと、歴史的な人間は、世界における自らの居住を基付ける。作品は、一つの世界を開けて立てることによって、大地をこちらへと立てる。こちらへと立てることは、この場合、[制作としてではなく]語の厳密な意味で思索されなければならない。作品は、大地そのものを一つの世界という開けたところの内へ引き込み、保持する。作品は大地を大地であるようにする。

 また、創作については、

 亀裂のうちにもたらされ、そしてそのようにして大地の内に立て返され、その結果として確立された闘争が、形態[Gestalt]である。作品が創作されているということは、真理が形態の内へと確立されているということを意味する。形態とは、亀裂がそのようなものとしてそれ自体を組み立てる[fugen]結構[Gefuge]である。組み立てられた亀裂は、真理の輝きの接合[Fuge]である。ここで形態が意味するものは、つねにあの立てることと立て-集め[Ge-stell]とから思索されるべきであり、そのようなものとして作品はその本質を発揮するのである。作品がそれ自体を開けて立て、こちらへと立てるかぎりは。
——M.ハイデッガー『藝術作品の根源』 平凡社 *初本「杣径」収蔵 一九五〇年(昭和二十五年)

と、藝術の発生の現場を、大地と世界の関係の上に成り立つものとして捉えています。[保蔵する]大地と[空け開げる]世界との緊張が、世界と大地との闘争が、藝術作品の根源であり、それが世界を開くとき、大地を大地としてあるようにする。それが真の藝術である、と。この[保蔵する]力と[空け開げる]力について、折口信夫は「霊魂の話」で、次のように表現しています。

 我々の祖先は、ものの生まれ出るのに、いろいろな方法・順序があると考へた。  今風の言葉で表すと、其代表的なものとして、卵生と胎生との、二つの方法があると考へた。

 そして、卵生について語りますが、『たまごの古い言葉は、かひ(穎)であり、ものを包んで居るのが、かひである。』としたうえで、

 此かひは、密閉して居て、穴のあいて居ないのがよかつた。其穴のあいて居ない容れ物の中に、どこからか這入つて來るものがある、と昔の人は考へた。其這入つて來るものが、たまである。そして、此中で或期間を過すと、其かひを破つて出現する。即、あるの状態を示すので、かひの中に這入つて來るのが、なるである。此れがなるの本義である。なるを果物にのみ考へる様になつたのは、意義の限定である。併し果物がなると言うたのも、其中に物が這入つて來るのだと考へたからで、原の形を變へないで成長するのが、熟するである。  熟するといふ語には、大きく成長すると言ふ意も含んで居るのである。かやうに日本人は、ものの發生する姿には、原則として三段の順序があると考へた。外からやつて來るものがあつて、其が或期間ものの中に這入つて居り、やがて出現して此世の形をとる。此三段の順序を考へたのである。

 折口の語っている事は、ハイデッガーと同じく、[大地ー保蔵する]ちから(かひ)と[世界ー空け開げる]ちから(なる)が[真理ー不伏蔵性](たまー藝術作品)を出現させる。ということです。そして、この創造の状況を、ハイデッガーは、[闘争]という言葉で表現しますが、折口は「ものいみ」として、日本の神話から導き出しています。

 ものいみは、此自然界の現象から思ひついた事であるかとも考られるが、或は、さうした生活があつた爲に、此話が出來たのかも知れない。此は今のところ、どちらとも言へないが、とにかく、古く日本には、神事に與る資格を得る爲には、或期間をぢつと家の中、或は山の中に籠らねばならなかつたのである。もに籠といふことは、蒲團の様なものを被つてぢつとして居る事であつた。大嘗會の眞床覆衾(神代紀)が其である。そうして居ると、魂が這入つて來て、次の形を完成すると考へた。其時は、蒲團がものを包んでゐるので、即かひである。さうして外氣にあたらなければ、中味が變化を起すと考へた。完成したときがみあれである。
——折口信夫『霊魂の話』 折口信夫全集 第三巻 中央公論社 *郷土研究会講演、昭和四年九月「民俗学」第一巻第三号 収蔵

風土

 創造に関しての、ハイデッガーと折口の表現の違いに注目してみましょう。  この大地と創造に関する「ものいみ」と「闘争」という表現の違いについて考えてみると、どうも、それはそれぞれが生きてきた「風土」に関係しているように思われます。和辻哲郎は「風土ー人間学的考察ー」のなかで、風土に大きくは三つの類型があるとしています。 一、モンスーン 二、砂漠 三、牧場  和辻は、日本はモンスーン的であるとしています。その特徴は、海からモンスーンによって陸地に運ばれる、湿気という「世界」が「大地」からそのポテンシャルを引き出すということです。このように、湿気(年間降雨量および雨の多い時期)に着目することによって、その地域に暮らす人たちの思考や、性格、社会のありかたについて考察しています。日本を含む、モンスーン地域では、湿気のもたらす自然の生と脅威によって、人間が自然に対して対抗的ではなくして受容的であるとし、ヨーロッパなど牧場地域では、「ヨーロッパには雑草がない」という言葉で言い表わされているように、その温順にして秩序のある気候、夏の乾燥と、冬の湿潤とによって、雑草を駆逐して全土を牧場にしてしまうように、自然が人間に対して従順であるとしています。さらに砂漠地域から伝わってくる「人間の死としての自然」に対する抵抗意識は自然を「征服さるべきもの」として考えるようになった。としています。「世界」が自然に「大地」から突発的にポテンシャルを引き出すということは稀で、あくまで周期的なパターンを守っています。そのような環境では、自然から博物学的な法則を見い出すことに精進するようになります。ハイデッガーと折口の思考の違いは、自然や大地に対しての認識の違いに相違ありません。

 百五十年前にヘルデルによって世界中の最も不毛な土地の例に引かれたカリフォルニアを、今や世界中の最も豊穣な農藝地に仕上げたのも、日本の農人の力である。ただしかし日本人はこの「技術」の中から自然の認識を取り出すことができなかった。そこから生まれて来たものは「理論」ではなくして芭蕉に代表せられるごとき「藝術」であったのである。これを思うと西欧の自然の温順は自然に対する人間の「作業知」の開発と引き離すことのできないものである。従順な自然からは比較的容易に法則が見い出される。そうして法則の発見は自然を一層従順ならしめる。かかることは突発的に人間に襲いかかる自然に対しては容易でなかった。そこで一方にはあくまでも法則を求めて精進する傾向が生まれ、他方には運を天に委せるようなあきらめの傾向が支配する。それが合理化の精神を栄えしめると否との岐れ路であった。
——和辻哲郎『風土』 岩波文庫 初本 昭和十年

 これまでモンスーン地域は、「文明」という砂漠・牧場地域の方法論を、はじめは強制的に、のちにはみずから積極的に取り入れてきましたが、今後の社会において、モンスーン(森)的な思考は、特に、自然とのかかわりにおいての重要さを担ってくることになります。そして「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従」と和辻の定義した日本人のこの特徴は、太平洋戦争においては悲劇的な状況を生み出すことになってしまいましたが、同じ性質をもって、その後の驚異的な日本の復興もなされたということを考えると、その性質を単に否定したり、見ないようにするのではなく、正面から捉えなおすことによって、今後、さらに良い方向へ進む事の出来るものだと私は考えます。