青の穏やかな輝きは魂の輝き

ゲーテ → シュタイナー → ボイス の流れが面白くて、その芸術論を援用して作品を作っていた時期がある。特にニュートンの”死んだ”色彩論に対抗する、ゲーテ~シュタイナーの”生きた”色彩論に影響され、その頃は青い絵ばかり描いていた。ただ、青の諧調で描くことはなかなか難しくて結局、納得できるものを完成させることはなかった。青の輝きは永遠であって、縛りつけようとする線や形を消し去ろうとする。

2000年頃、宮沢賢治の詩に銅版画をつけて詩画集を作ろうとしたことがある。わがままなのか、挿絵的なものも結局うまく作れなかった。探し物をしていた時にその銅版画を見つけて、計画倒れの絵だったと再認識するとともに、何かに感じが似ていると思った。第一原発から流れる放射性物質の拡散シミュレーター画像だ。

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風の偏倚

風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗ったばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜や
  (虚空は古めかしい月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほって巨大な過去になる
五日の月はさらに小さく副生し
意識のやうに移って行くちぎれた蛋白彩の雲
月の尖端をかすめて過ぎれば
そのまん中の厚いところは黒いのです
(風と嘆息との中にあらゆる世界の因子がある)
きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ斷雲と
星雲のやうにうごかない天盤附屬の氷片の雲
  (それはつめたい虹をあげ)
いま硅酸の雲の大部が行き過ぎやうとするために
みちはなんべんもくらくなり
  (月あかりがこんなにみちにふると
   まへにはよく硫黄のにほひがのぼったのだが
   いまはその小さな硫黄の粒も
   風や酸素に溶かされてしまった)
じつに空は底のしれない洗ひがけの虚空で
月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる
  (山もはやしもけふはひじやうに峻儼だ)
どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく
ひるまのはげしくすさまじい雨が
微塵からなにからすっかりとってしまったのだ
月の彎曲の内側から
白いあやしい気体が噴かれ
そのために却って一きれの雲がとかされて
  (杉の列はみんな黒眞珠の保護色)
そらそら、B氏のやったあの虹の交錯や顫ひと
苹果の未熟なハロウとが
あやしく天を覆ひだす
杉の列には山鳥がいっぱいに潜み
ペガススのあたりに立ってゐた
いま雲は一せいに散兵をしき
極めて堅實にすすんで行く
おゝ私のうしろの松倉山には
用意された一萬の硅化流紋凝灰岩の弾塊があり
川尻斷層のときから息を殺してまってゐて
私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる
空気の透明度は水よりも強く
松倉山から生えた木は
敬虔に天に祈ってゐる
辛うじて赤いすすきの穂がゆらぎ
  (どうしてどうして松倉山の木は
   ひどくひどく風にあらびてゐるのだ
  あのごとごといふのがみんなそれだ)
呼吸のやうに月光はまた明るくなり
雲の遷色とダムを越える水の音
わたしの帽子の静寂と風の塊
いまくらくなり電車の單線ばかりまっすぐにのび
 レールとみちの粘土の可塑性
月はこの變厄のあひだ不思議な黄いろになってゐる

宮沢賢治 「春と修羅」より