此処を乗り越えない限り、芸術に未来はありません。

我々の直面する重要な問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない ─ アルバート・アインシュタイン

今回、千円札を使った作品を発表して、僕としては、アンディー・ウォーホルの『リラ紙幣にサイン』やヨーゼフ・ボイス『芸術=資本』といった本物の紙幣に描くことによる、パラダイム転換の発展、ということで制作したのですが、しかし実際に見た人々は、ほぼ全員が赤瀬川原平の『模造千円札』のイメージに捕われてしまっているようでした。

確かに「千円札」という、赤瀬川原平の『模造千円札』のごく表面的な引用はありますが、それ以外『模造千円札』とは全く関係がありませんし、本物の日本銀行券を使っているのに関わらず、人はそこに「偽札づくり」という犯罪を見てしまいます。

もちろん、芸術でも犯罪でもない『模造千円札』を芸術や犯罪にしてしまったのは、警察や検察や裁判所や弁護士であって、赤瀬川原平の責任ではないのですが、とにかく、赤瀬川原平やあの時代(読売アンデパンダン)の作家たちの失敗の、現在にまでまとわりつく影響力を僕は目の当たりにしたのです。

此処を乗り越えない限り、芸術に未来はありません。

此処を乗り越えない限り、芸術に未来はありません。」への2件のフィードバック

  1. すみません、「此処」をもう少し具体的に言っていただけると分かりやすく、また、答えも見えてくるような気がします。
    Twitterから巡りきて、いきなり質問してしまいました。

  2. コメントありがとうございます。
    芸術と社会の境界のようなものなのですが、、、この先をしばらく続けて、ちゃんと表現できればと思っていますので、応援してください。

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