現実界の砂漠へようこそ
Welcome to the desert of the real

カフカの小説のような世界なのです。

8月 20th 2010 in 制度

春までまだどれくらいあるのだろうか ─フランツ・カフカ

日本銀行券は貨幣でなかった。

ざっと調べてみた所、日本銀行券は法律上「貨幣」としては認められていません。では日本銀行券とは何かというと「日本国の法定通貨」のようです。日本銀行券なので、本当は千円券、五千円券、一万円券であって、千円札、五千円札、一万円札と呼ぶべきものでは無さそうです。お金の世界は実にいい加減な感じなのです。

さらに、千円札、いや千円券に描かれている野口英世の肖像ですが、これは決定的に人選ミスではないでしょうか。野口英世の功績に関して何の異論もありませんが、お金に関してはかなりだらしない人物と言われていて、常に借金まみれだったそうです。(僕もだらしないのですが、金額的に野口英世ほどでは無いと思います。)現在の野口英世にかわってからの、日本国の借金の凄まじさを考えると、かなり問題あるのではないかと思います。

何の話か分からなくなってきましたが、ここで伝えたいことは、千円券は「貨幣」ではないので、「貨幣損傷等取締法」の対象ではないということです。ほかに法令とかあるのかもしれませんが、専門家ではないので分かりません。

知りもしないし、認めても、納得もしていない条件の中で生きることを強いられているのです。それが自然のものならあきらめもつきますが、他人の作った与り知らぬ制度によって、何が罪になるのか分からない、カフカの小説のような世界なのです。




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我々の直面する重要な問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない ─ アルバート・アインシュタイン

今回、千円札を使った作品を発表して、僕としては、アンディー・ウォーホルの『リラ紙幣にサイン』やヨーゼフ・ボイス『芸術=資本』といった本物の紙幣に描くことによる、パラダイム転換の発展、ということで制作したのですが、しかし実際に見た人々は、ほぼ全員が赤瀬川原平の『模造千円札』のイメージに捕われてしまっているようでした。

確かに「千円札」という、赤瀬川原平の『模造千円札』のごく表面的な引用はありますが、それ以外『模造千円札』とは全く関係がありませんし、本物の日本銀行券を使っているのに関わらず、人はそこに「偽札づくり」という犯罪を見てしまいます。

もちろん、芸術でも犯罪でもない『模造千円札』を芸術や犯罪にしてしまったのは、警察や検察や裁判所や弁護士であって、赤瀬川原平の責任ではないのですが、とにかく、赤瀬川原平やあの時代(読売アンデパンダン)の作家たちの失敗の、現在にまでまとわりつく影響力を僕は目の当たりにしたのです。

此処を乗り越えない限り、芸術に未来はありません。

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芸術とは一種の自由の科学である ─ヨーゼフ・ボイス

ヨーゼフ・ボイスが「芸術は自由の科学」と言っていますが、今ひとつ納得できない。マルクスの「貨幣は商品である」と同じぐらい違和感があります。

芸術と自由は決して切り離せない。切り離したとたんに双方が消滅してしまうものであることは周知の事実なのですが、、、。

では、「芸術は自由の」何なのか?「芸術」は「art」の翻訳と聞いています。アートの根源は「テクネ」やはり技術であって、芸術は『自由の技術』なのです。

自由の中には、元々はベストな状態へと向かう言葉であったはずの「良い加減」や「適当」という、今ではネガティブな感じを受けるものが含まれています。「欲望のまま」「我儘」という意味も含まれるでしょう。それらも否定することの出来ない人間の本性です。

全て受け入れ、自由の創造(解放)を行う技術が「芸術」というものなのです。

新自由主義という現在の困った状況も、ある意味アートによって生まれてきたものです。しかし、そうであればあるほど、それを淘汰し新たなパラダイムを創造することも、アートによって行う他ないはずです。

芸術は終わっていないし、決して終わらせてはなりません。

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