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自由を創造する技術

8月 23rd 2010 in フリーアート

芸術とは一種の自由の科学である ─ヨーゼフ・ボイス

ヨーゼフ・ボイスが「芸術は自由の科学」と言っていますが、今ひとつ納得できない。マルクスの「貨幣は商品である」と同じぐらい違和感があります。

芸術と自由は決して切り離せない。切り離したとたんに双方が消滅してしまうものであることは周知の事実なのですが、、、。

では、「芸術は自由の」何なのか?「芸術」は「art」の翻訳と聞いています。アートの根源は「テクネ」やはり技術であって、芸術は『自由の技術』なのです。

自由の中には、元々はベストな状態へと向かう言葉であったはずの「良い加減」や「適当」という、今ではネガティブな感じを受けるものが含まれています。「欲望のまま」「我儘」という意味も含まれるでしょう。それらも否定することの出来ない人間の本性です。

全て受け入れ、自由の創造(解放)を行う技術が「芸術」というものなのです。

新自由主義という現在の困った状況も、ある意味アートによって生まれてきたものです。しかし、そうであればあるほど、それを淘汰し新たなパラダイムを創造することも、アートによって行う他ないはずです。

芸術は終わっていないし、決して終わらせてはなりません。




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春までまだどれくらいあるのだろうか ─フランツ・カフカ

日本銀行券は貨幣でなかった。

ざっと調べてみた所、日本銀行券は法律上「貨幣」としては認められていません。では日本銀行券とは何かというと「日本国の法定通貨」のようです。日本銀行券なので、本当は千円券、五千円券、一万円券であって、千円札、五千円札、一万円札と呼ぶべきものでは無さそうです。お金の世界は実にいい加減な感じなのです。

さらに、千円札、いや千円券に描かれている野口英世の肖像ですが、これは決定的に人選ミスではないでしょうか。野口英世の功績に関して何の異論もありませんが、お金に関してはかなりだらしない人物と言われていて、常に借金まみれだったそうです。(僕もだらしないのですが、金額的に野口英世ほどでは無いと思います。)現在の野口英世にかわってからの、日本国の借金の凄まじさを考えると、かなり問題あるのではないかと思います。

何の話か分からなくなってきましたが、ここで伝えたいことは、千円券は「貨幣」ではないので、「貨幣損傷等取締法」の対象ではないということです。ほかに法令とかあるのかもしれませんが、専門家ではないので分かりません。

知りもしないし、認めても、納得もしていない条件の中で生きることを強いられているのです。それが自然のものならあきらめもつきますが、他人の作った与り知らぬ制度によって、何が罪になるのか分からない、カフカの小説のような世界なのです。

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芸術はその発生から、現在に至るまで変わること無く、「自由の技術」でありつづけていますが、常に「反芸術」という状態も起こりますし、最近、特に状況は悪化しています。「反芸術」勢力が世の中に溢れてきているのです。

芸術が反芸術に堕落するその一番の原因は「(自然権として売り買いされる!)著作権」です。ワールドワイドウェブという自由の道具が現れ、その反動として、アートを囲い込み、利用して金儲けをする企業/団体による著作権の強化が行われています。これまで、芸術の創造者は「著作権」について、それがあまりに不当な金儲けに使われない限り、それほど気にしていませんでした。なぜなら、いくらでも新たに作品を制作することが出来るし、ひとつの作品を作り終えた後には、次の創造に向かうからです。作品に秘められた創造力が世界に広まったり、誰かの創造力を刺激するきっかけになれば、それで良いわけです。作品やその複製がたくさん売れて、必要以上の金儲けをすることなど、芸術にとってはどうでもいいような些細なことなのです。

「著作権」を非親告罪化しようとする反社会勢力/反芸術勢力が存在し、勢力を拡大しています。この自由の侵害に対して、「自由の技術」に関わる芸術家が立ち上がらなくてはいけません。それが出来なければ、自由と芸術は死に絶えてしまうでしょう。

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