ヤンキー主義の信仰告白

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神にある、雷が静電気であることを証明した「ベンジャミン・フランクリン」による『ヤンキー主義の信仰告白(フェルディナント・キュルンベンガー 命題)』これはもう高額紙幣一〇〇ドル札の肖像に使われるわけです。そしていまや増えすぎたお金をどうすることもできないで、国債の大量発行や無駄遣いさえ義務となっているわけですから、困ったものですが、貨幣経済の根源的思想がこういうものなので、仕方ないのかもしれません。

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 時間は貨幣だということを忘れてはいけない。一日の労働で一〇シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶惰のためにはたとえ六ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。ほんとうは、そのほかに五シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。
貨幣は信用だということを忘れてはいけない。だれかが、支払い期日が過ぎてからもその貨幣を私の手もとに残しておくとすれば、私はその貨幣の利息を、あるいはその期間中にそれでできるものを彼から与えられたことになる。もし大きい信用を十分に利用したとすれば、それは少なからぬ額に達するだろう。
貨幣は繁殖し子を生むものだということを忘れてはいけない。貨幣は貨幣を生むことができ、またその生まれた貨幣は一層多くの貨幣を生むことができ、さらに次々と同じことがおこなわれる。五シリングを運用すると六シリングとなり、さらにそれを運用すると七シリング三ペンスとなり、そのようにしてついには一〇〇ポンドにもなる。貨幣の額が多ければ多いほど、運用ごとに生まれる貨幣は多くなり、利益の増大はますます速くなっていく。一匹の親豚を殺せば、それから生まれてくる子豚を一〇〇〇代までも殺しつくすことになる。五シリングの貨幣を殺せば、それでもって生みえたはずの一切の貨幣――数十ポンドの貨幣を殺し(!)つくすことになるのだ。
支払いのよい者は他人の財布にも力を持つことができる――そういう諺があることを忘れてはいけない。約束の起源にちゃんと支払うのが評判になっている者は、友人がさしあたって必要としていない貨幣を何時でもみな借りることができる。
これは時にはたいへん役に立つ。勤勉と質素は別にしても、すべての取引で時間を守り法に違わぬことほど、青年が世の中で成功するために役立つものはない。それゆえ、借りた貨幣の支払いは約束の時間より一刻も遅れないようにしたまえ。でないと、友人は失望して、以降君の前では全く財布を開かぬようになるだろう。
信用に影響を及ぼすことは、どんなに些細なおこないでも注意しなければいけない。朝の五時か夜の八時に君の槌の音が債権者の耳に聞こえるようなら、彼はあと六ヶ月延ばしてくれるだろう。しかし、働いていなければならぬ時刻に、君を玉突き場で見かけたり、料理屋で君の声が聞こえたりすれば、翌日には返却してくれと、準備もととのわぬうちに全額を請求してくるだろう。
そればかりか、そのようなことは君が債務を忘れていない印となり、また、君が注意深いだけでなく正直な男であると人に見させ、君の信用は増すことになろう。
自分の手もとにあるものがみな自分の財産だと考え、そんなやりかたで生活しないよう気をつけなさい。信用を得ている人々が多くこの間違いをやる。そうならぬように、長きにわたって支出も収入も正確に記帳しておくのがよい。最初に骨折りを惜しまず小さなことまで書き記すようにすると、こういうよい結果が生まれるだろう。どんなに小さな支出でも積み重なれば巨額となることに気づくし、また何を節約できたか、将来は何を節約すべきかが分かるようになる。……
君の思慮深さと正直が人々に知られているとすれば、年々六ポンドの貨幣を一〇〇ポンドにも働かせることができるのだ。毎日一〇ペンス無駄遣いすれば一年では六ポンド無駄遣いすることになり、ちょうど一〇〇ポンドを借りるための代価となるのだ。自分の時間を毎日一〇ペンスの価値に当たるだけ(おそらく数分に過ぎぬだろう)無駄にすれば、一年には一〇〇ポンドも使える特権を無駄にしてしまったことになる。五シリングの価値にあたる時間を無駄遣いすれば五シリングを失い、五シリングを海に投げ捨てるのと少しも変わらない。五シリングを失えば、その五シリングだけではなくて、取引にまわして儲けることができたはずのその金額も全部失ってしまったことになる。――そうした額は、青年が年配となるまでには、そうとう大きいものになるだろう。