民衆芸術運動(6)

「へちま」において、望月に多くの社会主義者、無政府主義者を紹介したのは『労働青年』久板卯之助であった。

俺が久板君と知り合ったのは大正五年(一九一六)、神田猿楽町で簡易食堂「へちま」開店後間もなく夏場だから氷水屋をやっていたところへ、久板は宮崎安兵衛から聞いたと言って来た。それから本郷白山上の南天堂書舗の三角間の二階に仮住まいしていた渡辺政太郎、本郷菊富士ホテルに大杉栄・伊藤野枝、日比谷の売文社で堺枯川・山川均・高畠素之、更らに荒畑寒村、木下尚江、神近市子、宮島資夫等に次々と同導紹介して呉れた。
望月桂遺稿集(久板卯之助君の奇行)より

望月は久板を通して、社会主義、無政府主義を学び、後にアナキスト画家としても紹介される同志社神学校中退の久板は、望月から美術について多くを学んだ。「へちま」から生まれた『労働青年』『平民美術協会』であったが、1917年7月「へちま」閉店後、『労働青年』は1917年11月の第七号をもって終刊、望月は日本紙器株式会社に就職し『平民美術協会』の活動も停滞する。

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