民衆芸術論|加藤一夫

 はてしなくさまよいゆく自分の心霊は今、民衆のための、民衆の、民衆の所有する、真の民衆の芸術の要求に目ざめた。実際今世界を通じて、新しい人民は生まれつつある。既に生まれ、また、生まれようとして居る。そして彼等は、その苦しい悩みを、その止みがたい要求を、その制しきれぬ心の激動を、彼等自身の霊をもって、彼等自身の芸術によって表白せん事を希求してやまない。
 これが自分をして民衆芸術を叫ばしめた重大なる動機である。
 自分はこれを纒った著者として発表したいと思っていた。しかし自分の生活は中々そうした時の余裕を与えてくれぬ。そこで、洛陽堂主河本氏のすすむるままに、当時、民衆芸術についてなしえた論争をそのまま本にした。論争の中には、感情に走って、つい失礼な言辞をその対者になしたこともあるが、早卒の際で、それも改める事が出来なかった。自分は茲に幾重にも自分の無作法を謝しておくものである。
 「民主主義に関する考察」「生活に関する考察」「トルストイに関する考察」「詩情断片」凡てみな最近一二年間の自分の収穫である。
 自分は此の間に、精神上及び生活上に可なり深い苦悶をつづけた。で、その収穫も割合少なかった。しかし、自分は今、新しい思想を獲得した。自分を愛してくれる読者のために、自分は更によきものを提供し得るの近きに在るを信ずる。

中野の寓居にて 著 者
大正八年五月十六日


目次

民衆芸術に関する考察

 民衆は何処に在りや
 民衆運動即自省更生
 民衆芸術の意義
 民衆芸術の主張
 民衆芸術の精神
 民衆芸術論の諸相
 民衆芸術の永遠性
 民衆芸術は苦悩の芸術である
 民衆芸術は開放の芸術である
 民衆芸術の出発点とその目標
 民衆芸術は何うして起こらぬか